【中国・三峡下り編】重慶から武漢までのリバークルーズ

目次

三峡下り 1日目

どの船?

昨日やって来た日本人2人組(陣内くんとヨシイくん)と今日一日行動を共にした。

昼前にホテルをチェックアウトしたが、重慶にはケンタッキーとかマクドナルドなどのファーストフードがないので、18時の乗船までの時間をどこでつぶそうか困った。

中華のファーストフード系の店を発見し、僕たちはそこで13時ごろから15時前まで過ごした。

それからカップラーメンやパンなど、船に持ち込む食料を買い、かなり早めだが、僕たちは朝天門の船乗り場まで歩いた。

15時40分に船乗り場に着き、チケットに書かれている5番ドックへ行った。すると船室の入口に立っていた女性の船員が、この船ではない、と言う。5番じゃなければどこか、と訊くと、たぶん7番だ、という。言われたとおり7番へ行ったが、それらしき船がない。

もう中国では毎回過ぎて、またか、という感じではあるが、ここでもやはり始まった。あっちだ、こっちだと振り回される時間の到来だ。

僕が9日に下見で来た時に話した中国人が、港で僕を見つけて、あっちだよ、と教えてくれた。言われたところへ行ったが、やはりそれらしき船は見当たらなかった。

僕たちは途方に暮れた。切符売場のインフォメーションで訊くしか方法が見つからず、2角払ってエレベーターに乗り、切符売場に戻った。

切符売場で僕は荷物番をし、船乗り場の場所については、陣内くんとヨシイくんに任せた。切符売場は大小いくつもあり、一番大きなところへ行ったが、会社が違うとかで他へ連れて行かれた。日本語を話せる人がいて、間に入っていろいろ訊いてくれたようだが、それでも「たぶん5番だと思うけど、もしかしたら違うかも知れない」という、何の進歩もない答えが返ってきただけだった。

僕たちはまた5番に戻り、その付近で船を探した。すると、お前たちはさっきから何をしてるんだ、と一人のおじさんが中国語で話しかけてきた。もちろん早口な中国語などまったく理解できないが、おそらくそんな感じの質問をしてきたのだと思う。

僕たちが切符を見せると、そのおじさんは、こっちに来い、と言って、先を歩いていく。歩きながら、切符を見せろ、というので切符を渡すと、切符を見ながらどんどん先に進んでいく。持ち逃げされるんじゃないかと心配になったが、ボロい船の方へ歩いていくので、もし逃げようとしても、その先がない。

おじさんはボロい船に乗り込むと、船室を通って、その先の大きな船に乗り込む。

「この船だ」とおじさんが言う。まさか他の船を通らなければたどり着かないとは、思いもよらなかった。どういう仕組みでそうなっているのか分からないけど、チケットを見た服務員も頷いているので、おじさんのいうことに間違いはないようだ。

手数料をの攻防

おじさんは服務員となにやら話して、僕たちのベッドを確保したと教えてくれた。陣内くんとヨシイくんは2等で、僕が3等だった。

先に2等の部屋を案内し、その後戻って来て、僕を案内してくれた。

親切なおじさんに、何度も謝謝と伝えた。おじさんは笑っていたが、まったく帰ろうとしない。そして、50元払え、と言ってきた。

なんとなく心配ではあったけど、これもまた、またか、の類である。何かをすると、すぐに手数料みたいなものを要求してくる。

「なぜ?」と少々いじわるに訊ねてみた。

おじさんは中国語をまくしたてたが、理解していない僕の様子を見て、僕のノートを取り上げて、何やら書き出した。並べられた漢字を見ても、よく読み取れないこともあって、意味は分からなかった。

おじさんはさっぱり理解しない僕にしびれを切らし、陣内くんたちがいる2等の部屋へ、僕を連れて行った。すると案内してやったのだから、手数料を払えというようなことを、陣内くんに通訳するよう頼んだ。ちなみに陣内くんたちも2人で50元払ったらしい。

おじさんがいなければ、僕たちはこの船にたどり着けなかったかもしれない。だけど僕は払うのが嫌だった。やはり騙されたような気がするし、こんな商売を許してはいけないようにも思った。

ただ、チケットは人民料金なので、もしここでややこしいことになり、外国人料金を払わされることを考えたら、手数料というか、チップというか、それを払ったほうが安いとも思われる。しかもおじさんは、ベッドの番号が書かれた札を手に持っている。よく分からないが、それがないとベッドを使えないのかもしれない。

「50元は高すぎる」と僕がおじさんに言ったら、おじさんは「では30元」と減額してきた。20元なら払う、と伝えると、「彼らは50元払ったんだぞ」と陣内くんたちを指して、言ってくる。

「2人で50元なのだから、1人だと25元じゃないか」「分かった⋯⋯じゃあ25元でいい」

商談は25元で落ち着いたが、僕は手持ちの札が50元と100元札しかなかった。近くにいた物売りのおばちゃんに50元札を、10元札5枚に両替してもらい、おじさんに30元札を見せた。

「お釣りの5元はあるか?」

僕がそう訊ねたが、おじさんは、ポケットから2元と7角のコインを出し、これだけだ、という。

おじさんは、細かいのはこれしかないから、これでいいじゃないか、というようなことを言ってくる。中国語は分からないので、やはりこれも表情や身振り手振りから推察した翻訳だ。

たかだが3元くらいなので日本円で50円もしないくらいだが、僕は妥協したくなかった。25元は払うと約束したが、お釣りがないという安易な理由で、これ以上いいように金を巻き上げられるのは我慢できなかった。

「いい加減にせい。ないんやったら、お前が両替して来い。両替したくないんやったら、金は払わん!」

日本語でまくし立てた。それまでおじさんが中国語でまくしていたのに、僕が逆にまくしたてると、おじさんは急に弱気になった。日本語は分からなくても、僕が怒っているのは、十分に理解したようだ。

おじさんは急いで両替しに行き、お釣りの5元を持って帰ってきた。

むかつくけど、闇でチケットを買った弱みがあったので、悔しいと思いながら、30元を払い、5元とベッドの番号が書かれた札を受け取った。

おじさんは金を受け取ると、満面の笑顔になり、僕に握手を求めて、船から出ていった。

3等の部屋に7人の男と1人の女性

僕の3等の部屋は8人部屋である。2段ベッドが4つ。中国人の中年男性が6人と若い女性が1人、そして僕の8人である。

イギリス人チャリダーのトムもこの船で、同じ3等だったはずである。無事乗れただろうか。どこにいるのだろうか。

僕はベッドの下段で、中国の若い女性が上段だった。その女性の友達が遊びに来た祭、上の段だと話がしにくいので、場所を代わったてくれないか、と頼まれた。

僕も暗い下段より、明かりに近い上の段のほうが良かったので、喜んで代わった。しかし、この部屋の電灯はチカチカと点滅しているので、とても目が疲れる。

下段になったその女性と友達は、僕が日本人だと分かると、いろいろと2人で話しかけてきた。そしていつものように筆談が始まる。

彼女たちは、漢字を理解する僕を不思議に思ったらしい。

いくつかの漢字を並べて、最後に「?」と付けた。

谁教的你汉字?

誰に漢字を教わったのか、という意味だと思われる。

僕が漢字は日本語の一部だと説明したが、分かってもらえず、再度同じ質問をされたので、仕方なく、「教師」「小学校」と書いて見せた。

そんな小さいときから習うのか? と、彼女は小学生くらいの背の高さに手をやってびっくりしていた。間違って伝わっているだろうなと思ったが、それ以上詳しく説明する語学力はなかった。

你有女朋友吗?

おそらく、女友達、つまり恋人はいるのか、という意味だと思う。

僕が「対(はい)」と答えると、また質問。

她怎么没来?

おそらく、彼女はなぜ一緒に来ていないのか、という意味だろう。初めての質問だった。バックパッカーの存在を知っていれば、そんな質問はしないだろうが、彼女らは知らない。

僕は答えに詰まり、「多忙」と書いて見せた。

彼女らは、男が暇で、女が忙しいのか、とケラケラ笑っていた。無邪気な笑いで、さぞ不思議に見えるらしい。

三峡下り 2日目

三峡下り 〜豊都〜

昨夜はなかなか寝付けなかった。消えることなくチカチカと点滅する電灯のせいなのか、三峡下りに興奮しているのか、あるいは言葉の通じない中国人ばかりの部屋で神経がたかぶっていたのか、自分でも分からない。

ビールを飲んでも眠れなかった。チカチカする電灯ではあまり本は読みたくなかったが、何もすることがない僕は、読みかけていた三島由紀夫の「永すぎた春」の続きを一気に読んでしまった。

朝、下段の女性に起こされた時は、8時30分だった。船は動いていなかった。そこが豊都というところだった。

長江を下っていく三峡下りは、重慶を出発し、瞿塘峡と巫峡、西陵峡を通って、宜昌がゴールとなる。僕たちは、もっとその先の武漢まで行くことにしていて、12/12から12/15までの4日間のクルーズを選んだ。途中にいくつか停泊地があるが、豊都はその一つで、最初の停泊地だ。

船を降り、歩いていくと、陣内くんとヨシイくん、そしてチャリダーのトムもいた。

豊都には、鬼の城だったり、吊橋などがある観光地となっているのだが、そこを観光するには入場料が40元必要だった。歩いてまわるのに90分かかることと、あまりに高すぎるため、僕たちはそこに入るのを諦めた。

ツアーで来ている観光客はもちろんどんどん入っていく。だけど僕たち4人は全員貧乏旅行なので、高いお金を必要とする贅沢な観光には興味がわかなかった。

船に戻ったが、船には外の景色が存分に楽しめるデッキがない。せっかく景観を愉しむ三峡下りなのに、この船は観光用ではなく、移動手段に使う船のようだ。

やることがなく、陣内くんたちがいる2等の部屋を訪れてみた。驚いたことに、陣内くんは船長室、ヨシイくんは副船長室をあてがわれている。2等の部屋が満員だったのか、よくは分からないが、なぜかVIP扱いされているようだ。ただ、船長室と言えども、部屋は寒かった。

しばらくするとチャリダーのトムもやってきた。

トムは日記を書き出した。聞くと、トムは香港で3年間、出版関係のしごとをしていたという。ライターの仕事をしていたらしい。そして、今の旅が終わった後、将来的には再度ライターになりたいと思っているようだ。

トム曰く、「ライターになりたいなら、日記は絶対毎日書くべきだ。細かい部分は書かないと忘れる。紀行文を書くなら、誰も書いてないようなことを書かなくては売れない。大別すると、紀行文には2つのタイプがある。一つはありきたりの旅のコースを辿ったことをうまい文章と独特の表現で書くタイプ。もう一つは、文章は下手くそだが、南極とか秘境とか、あまりしられていない珍しい旅行のことを書くタイプ。紀行文というのは旅行者の間ではよく楽しまれるが、一般の人たちはあまり親しみがない。だから余計に独特な個性が必要とされる。私の経験から誰に対しても言えることは、いろんな紀行文を読んで、まずその型を得て、どの本にも書かれていないことを書くことが大事だ」

ライターという職業は、旅行者にとっては生きる手段となっているようで、それを志す人はやはり多い。

三峡下り 〜白帝城〜

船は走り出したが、石宝寨、万県を通り過ぎ、20時ごろ、また1時間ほど停泊した。

張飛を祭る廟がある白帝城という観光地らしい。ここでも10元払う必要があると聞き、僕たちは外から伺うだけで、中に入らなかった。

だが、トムが「出口からなら無料で入れるぞ」というので、トムと僕は出口から白帝城の中に入っていった。船からの客がほとんどなので、船からの団体がいなくなると、白帝城の門も閉められようとしていた。僕たちは大急ぎで中を見たが、あまりに時間がなく、何がなんだかわからないまま、また出口に向かった。

船に戻り、陣内くんの部屋で飲もうということになったが、売店が閉まっていて、ビールが買えず、中止になった。

暇だから、と言って、陣内くんが3等の僕の部屋に来た。中国人女性との会話を楽しみたいという。

陣内くんは英語が達者なことも関係するのか、中国語の習得も早かった。時々筆談はするものの、なんとかカタコトの中国語で会話をしている。

中国人女性の2人は、四川省と湖北省の境にある奉節という港で下船するという。なので今夜でお別れだった。写真を撮って、住所の交換をした。

奉節に着くと、彼女たちが重慶で仕入れてきた麻袋に入った女物の服を、僕と陣内くんで担いで、1階の下船口まで運んであげた。そして手を降って別れた。

「出会いと、別れですね」と陣内くんはうれしそうだった。

三峡下り 3日目

不意打ちの瞿塘峡

朝早くから、同部屋の中国人のおじさんたちがごそごそとしていた。時計を見ると、まだ7時だ。
おじさんたちは上着を着込んで部屋を出ていった。食堂に朝食でも食べに行くのかと、まだ頭がすっきりしない僕はそんな風に考えていたが、気にせず毛布を被って、眠り続けた。
7時45分ごろになると、さっき出ていったおじさんたちが、ゾロゾロと帰ってきた。どうも食堂で朝食を摂ってきたような感じではない。顔もつい先ほどまで寒空の下にいたような強張りと、何かおもしろいものを見た後のような興奮の色が明らかである。

もしかして三峽に入っているのか!?

僕は頭に神経を走らせて、スケジュールを思い出した。それを確かめるために、「地球の歩き方」に書いたスケジュールのメモを見た。
船によってもスケジュールは異なるので、7時とまでは書いていないが、朝方に着くのは確かのようだ。
僕は急いで着替え、デッキに出た。一帯にもやがかかり、景色を楽しめるような感じでもなければ、険しい絶壁も見当たらない。
僕は陣内くんの部屋に行った。そこには先にトムが来ていた。聞けば、陣内くんもトムも、僕と同じくらいに気づいたらしい。調べてみると、一つ目の峡谷・瞿塘峡を見逃したことになるようだ。僕たちは全員同じミスを犯し、笑って悔しがった。

それから10分もしない内に、巫山というところで船が港にとまり、全員降ろされた。ここで6時間ほど停泊するそうだ。
大きな観光地になっているのかと思うと、観光するところはほとんど、というか、全くなかった。トムと陣内くんとヨシイくんと僕は、食堂のような店で、ワンタンの朝食を摂った。ほうれん草のような野菜を見せてきて、「入れるか?」と訊かれたので、苦手とかはないか、という意味だと思って、「問題ない」と答えた。
食べ終えて、1人3元、4人分で12元払おうとすると、15元払えと言われた。なぜかと訊ねると、その店のおばさんは、ワンタンが3元、野菜が1元、テーブルチャージが1元だという。
屋台を少し広くしたような店でテーブルチャージが取られるとは。ぼったくりに関してはとても厳しいトムも、これには呆れて笑っていた。

4人で通りをぶらぶら歩いていると、陣内くんが両替をすると言って、トムと一緒に違う方向へ行き、そこではぐれてしまった。
僕とヨシイくんは市場のようなところを見学しながら、さてあと4〜5時間ほどあるが、どうやって時間を潰そうか。港の近くのビリヤード場を見つけたので、そこに入り、9ボールをやってみる。
1ゲーム5角なのだが、ボールは⑥から⑮の10個だけで、なぜか①から⑤のボールがない。しかも台はほこりと湿気で転がりが悪く、さらには傾いている。スローな打ち方などすれば、ゴルフのグリーンでパットをしているかのように、傾斜に沿って曲がってしまう。とてもじゃないか、ビリヤードをしているという感覚ではない。

巫峡、西陵峡、そして葛州覇ダムを通過する

13時ごろになって、船に戻ると、陣内くんもトムもすでに戻っていた。そして14時過ぎに船は出発し、すぐに2つ目の峡谷・巫峡にさしかかった。
陣内くんのいる船長室から巫峡を眺めていたが、横からの眺めに限られるので、デッキに降りることにした。

川の流れは茶色の濁流で、水が活きていることの証明だった。南北に2000メートルを超す山々が並ぶが、太陽の光が当たる北の山と、影になる南の山では、その見え方が違っていた。生きた山と死んだ山と表現できそうなくらい、色彩が違う。
北の山にはポツポツと人が住み、みかんの木がいくつも並んでいたり、きれいに区分けされた畑があり、紅く紅葉しているところもある。僕は断然北側の山を好み、左側のデッキから北の山ばかりを見上げた。
時々荷を運び川を上っていく小型の船とすれ違い、中国の川を旅していることを実感した。船は見るからにボロく、進んでいるのか、沈みかけているのか、心配するくらいだった。

1階のデッキに立っていると、上からいろんなモノが降ってくる。みかんの皮、ソーセージのビニール、ひまわりの種の殻、カップラーメン、ビール瓶、などなど。川に放り投げられているのだ。
中国人にとっては川と山の雄大な美しい景色も、人間の中に眠っているモラルを呼び起こす材料とはならないようだ。
「もう何十年もすれば、砕氷船でゴミをかき分けながらじゃないと通れなくなるんじゃないだろうか」と陣内くんは冗談まじりで言った。

そうこうしている内に、3つ目の峡谷・西陵峡も見えてきた。西陵峡は全長が75kmと長いものであったが、巫峡の絶壁の方が魅力的で、それを見てしまった後の僕たちには、少し物足りなく感じた。
僕たちは、陣内くんの船長室で”大富豪”を興じながら、窓越しの西陵峡を時々見る程度のいい加減さで通り過ぎた。

21時ごろ、宜昌に着き、葛州覇ダムの閘門のゲートに入った。
この水路は水位が異なるため、閘門で水位の調整をして船は通過することになる。閘門では、入口と出口にゲートがあり、船が中に入ると、入口のゲートが閉まる。そしてプールの中の水位を下流の水位まで、約20メートルほど下げると、出口のゲートが空き、船が再び川に出る。
この葛州覇ダムの通過は、三峡下りが終わりに向かっていることを告げる、クライマックスとも言える。そして船の乗客は、ほぼ全員がデッキや窓から水位を下げる様子を眺め、自分たちが船と一緒に下がっていくのを体験する。
感動したり、興奮する類のものではないが、なかなか貴重な体験だ。

三峡下り 4日目

今日は赤壁の戦いのあった場所を通るはずだったが、中国語のアナウンスではいつ通るのかさっぱり分からず、僕はまた見逃した。だが、それはそれで特別な後悔にはならない。
14時ごろ、岳陽に着き、40分くらいしか時間がなかったので、僕たちは弁当だけ買ってすぐに船に戻った。

ただ、トムは船の中で大便をするのが嫌で、船を降りるとすぐに厠所(トイレのこと)を探した。英語で小便のことをNO.1といい、大便のことをNO.2というらしい。トムは何度も「NO.2がしたい」と連呼しながら、厠所へ小走りで向かって行った。
確かに船の厠所は僕も好きにはなれない。一応コンパートメントがあるのだが、それも低く、大便をしている姿がコンパートメントの外からでも丸見えである。中国ではそれが珍しいものではないため、恥ずかしいという気持ちは薄れてきているが、プライベートな空間ではないことで集中はできるものではない。それでも中国人はドアのないコンパートメントだけの厠所で新聞を読みながら大便ができてしまう。

船に戻り、やることがないので、陣内さんたちと雑談をして過ごす。
20時を過ぎたころ、トムが「グッドニュース」と言って、やって来た。船が武漢に着くのが23時ごろになり、翌朝まで係留する予定となっている。15元払えば、翌朝10時まで船の中で寝ていてもいいということだった。
夜の移動が不安だったことと、ホテル代のことを考えても、僕たちは全員船で一夜を過ごすことを決めた。

✒️ 三峡下りのタイムスケジュール

地名日付到着時間出発時間停泊時間
重慶1日目18:00
豊都2日目7:0010:003時間
石宝寨13:3013:4010分
万県15:3017:001時間30分
張飛18:4019:401時間
巫山3日目7:3013:306時間
宜昌20:3022:001時間30分
岳陽4日目13:0014:001時間
漢口23:00

三峡下り 翌日(おまけ)

早朝に叩き起こされ、船から強引の降ろされる

朝10時まで船の中に居てもいいということだったのに、なぜか6時30分ごろ起こされて、早く部屋を出ていくように急かされた。
船長室の陣内くんのところへ行くと、起こされた形跡は全くなくて、まだ暗い部屋の中で彼は熟睡していた。
3等のトムの部屋へ行くと、シュラフにくるまったトムがちょうど起こされているところだった。
僕は荷物をまとめて、陣内くんの部屋の前に置き、用を足しに行こうとすると、船員らしきおじさんが「早く降りろ」と言ってきた。
トイレに行きたいことを伝えると、「早く行け」と顎で急かされ、用を足してから戻ると、また「早く降りろ」と急かす。
「我的朋友、我的朋友」
と僕は陣内くんのいる船長室を指して、友達がこの部屋にまだいる、ということを伝えると、おじさんは「はあ?」という顔をする。
部屋を開け、寝ている陣内くんに声をかけると、陣内くんは何が起こっているのか分からず、寝ぼけてこっちを見ていた。
おじさんが、「お前も早く降りろ。早く」と大声で喚くので、陣内くんも慌てて荷物を整理し出した。
その間に副船長室の吉井くんにも声をかけ、トムも合流した。
なぜこんなに早い時間に起こされ、船から降ろされるのか、謎が解けずに、僕たちはただただ憤慨していた。

トムが自転車に載せる荷物をパッキングする間、僕たちはとりあえず下船した。すると、さっき僕たちを強引に起こした船員らしきおじさんも、僕たちと一緒に船を降りて来た。そして中国語で「飯店」とか「十元」とか言ってくる。
10元のホテルがあるぞ、と親切に教えてくれているのかと思っていると、実はタクシードライバーで、どうやら船の中まで客引きに来ていたようだった。あまりの熱心さに怒りを通り越して、感心してしまった。
感心ついでに、そのタクシーに乗ってあげようかと思ったが、トムは自転車だし、陣内くんと吉井くんは近くのホテルに向かい、僕は駅に向かう。タクシーの利用価値はなかった。

僕たちは港から少し歩いたところのレストランで朝食をとることにした。
陣内くんが、たぶんこれはハンバーグだ、というメニューの中から、僕と吉井くんは「猪血肉」というのを頼み、トムと陣内くんは14元と少し高めの牛肉を頼んだ。
出てきた料理は、ハンバーグではなく、シチューだった。そして僕と吉井くんが頼んだ「猪血肉」は、豚の肝らしかった。吉井くんはグロテスクだと言って、青菜だけを食べ、肝肉はほとんど残した。
トムと陣内くんが頼んだ料理は同じシチューだけど、なぜか辛い味付けになっているらしく、2人とも辛すぎると言って、途中でギブアップした。
僕も肝肉ばかりのシチューに快い気分はしなかったが、残すのはもったいない気がして、なんとか最後まで食べた。
以前読んだ「福音書」の中で、「人間の体の外から入って、人を汚し得るものは何もない、人から出るものが人を汚すのである」と書かれていたことを思い出した。心の中から出た邪念が心を汚すということであって、どんな食べ物であっても、人の心には入らず、腹に入って、トイレに流されていくだけなのだ。そう思って、頑張って最後まで食べることにしたのだ。

仲間との別れ、そしてまた一人ぼっち

朝食を終え、トムと握手をして別れ、僕たちは長江の対岸を目指した。
フェリーがあることを知り、川岸を伝ってフェリーに乗った。船には大道芸人のような人がいた。離岸すると、中国語で何やら叫び出し、服を脱ぎ、上半身裸になった。赤い紐で腰をを強く縛り、鉄の塊のようなものを飲み込んで、おまけに太い針金で首をグルグル巻きにした。そしてその状態のまま船客の一人ひとりに金を請求しに来た。
だけどそれを意にも介さず、見えない人が多く、金は思うように集まらなかったようだった。もちろん僕もチラチラと見ただけで、別におもしろいわけでもなく、船でされたことで動き辛く、迷惑な気持ちもあり、金は出さなかった。
船から降りたが、結局乗船券を買うところもなければ、乗船料金を払うところもなかった。いつの間にか改札口を通らずに乗ってしまったようで、無賃乗車になったようで、何も請求されないまま地上に出た。

武昌駅行きのバスを見つけ、僕たちは駅まで切符を買いに行くことにした。
僕はこれから広州に向かう。陣内くんたちはここ武漢で一泊して、明日上海に向かう。僕は武昌→広州の硬臥(B寝台)チケット247元だった。陣内くんたちは武昌→上海の同じく硬臥チケットで、253元。
所要時間は、広州までが17時間、上海までが28時間、となっている。
広州までより、上海までの方が10時間以上多くかかるのに、料金の差は6元しか変わらない。距離なのかもしれないが、だとすると、距離と所要時間の関係が分からなくなる。
いずれにせよ、何が正解で、何が間違っているのか、何も分からず、お互い首を傾げるばかりだった。

僕たちは駅前の食堂で小籠包と肉団子とビールを頼んだ。いつものように外国人を珍しがる店のおばちゃんを筆頭に、女の子たちが話しかけに来る。
陣内くんはここ数日のうちでも、中国語の会話力が上がっているように思う。中国に来てからトータルで2週間ほどしか経っていないし、旅の内容も僕とあまり変わらないと思うのだが、僕なんかよりもずっと中国語を話せるようになっている。能力と努力の両方なのだと思うけど、それにしても感心する。

昼食を食べ終え、陣内くんたちとも別れ、しばらくぶりにまた一人ぼっちになった。

武昌駅でまたトラブル発生

武昌の駅は、ゴミを捨てたら罰金5元とっているらしく、あちこちで黄色の帽子を被ったおばちゃんが見張っている。中国ではそれくらいしないと、ゴミだらけになってしまう。しかし、それだけ取り締まっている武昌の駅も、決して綺麗とは言えない。
駅の待合室のようなところで座っていると、さっきの食堂で一緒だった中国人のおじいちゃんが、僕を見つけて話しかけてきた。
言っていることを理解するのも、こっちのことを伝えるのも、どちらも大変苦労するので、正直なところ、相手をするのが面倒だった。同じ質問を繰り返し、それでも伝わらず、四苦八苦していたが、最後には僕の電話番号を教えろ、と言ってきた。おじいちゃんが持っているアドレス帳を出してきて、ここに電話番号を書け、という。目の前に居ても会話できないのに、電話などで会話が成立するはずもない。だが、断る理由を伝えるのも苦労するので、僕は適当な名前と適当な番号を書いて渡し、ようやく解放された。

駅の厠へ行った。中国の公衆便所はお金を支払う必要がある。大抵は2角とか3角くらいである。1元渡してお釣りを要求したところ、ティッシュと3角が帰ってきた。便所で7角取られるわけもなく、またティッシュを無料でくれるはずもないので、おそらく内訳は利用料2角、ティッシュが5角、といったところだろうか。使わないティッシュを強引に買わされたということになるが、これを返品する交渉も疲れるので、そのまま泣き寝入りした。

待合室で本を読んでいると、今度はまた別の中国人のおじいちゃんが隣に座り、話しかけてきた。
内心「またか。勘弁してくれ」と思ったが、おじいちゃんは意に介さず、僕のノートを勝手に手に取り、なにやら中国語を書いて見せてきた。中国三大石窟だとか、中国名山だとか、中国の名所をいくつか並べ、僕の反応を試しているようだった。
僕の反応がいまいちだったからか、おじいちゃんはさらに書く。
見せられた漢字は、日本人の名前だった。これまでもいろんな中国人が日本の芸能人の名前をよく書いて、「俺は日本人を知っているぞ」というアピールをしてきた。山口百恵、田中裕子、栗原小巻、高倉健、宮沢りえ(理恵)といった名前を書く人が多かった。
しかし今目の前にいるおじいちゃんが書く日本人は、田中角栄、岸信介、東條英機と政治家ばかりだった。意外だったので、少し驚いて見せると、ようやくおじいちゃんは満足したようだった。
おじいちゃんに、何時の列車に乗るのか、と訊かれ、「19時52分」を中国語で説明できないし、書くのも面倒だったので、切符を見せようと、ポケットを探った。
⋯⋯ない。切符が、ない。
僕は焦って、全てのポケットを探したが、どこにもない。どこかに落としたようだ。247元という大金なだけに、僕は打ちのめされた気分になった。
公安室に行って、落とし物が届いていないかを訊いたが、中国語をまくしたてられるばかりで、まったく話にならない。
「售票处」(切符売り場)に行った。外国人専用窓口で購入したので、その際パスポート番号も控えられており、僕が購入したことは証明できるはずだ。
身振り手振りと、筆談で、僕が購入した切符を紛失したことを説明し、おそらく理解してもらったと思われるが、「重新买票」と書かれたメモを渡された。もう一度新しいのを買え、という意味のようだ。
僕は泣く泣く、247元払い、同じ切符を買わざるを得なかった。とても悔しい。

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