S字フックがほしい
S字フックを探し求める
南大門に行って細々とした必要な物をそろえた。
はさみやファイルなどの文房具、バックパックにつけるチェーンロック、そしてS字型の簡易フック。

これから中国に行くと、トイレ事情はかなり劣悪だと耳にする。トイレにカバンをひっかけるところがなく、下に置けるような清潔さはまったくないと聞かされていた。なので、中国に入る前にS字フックはなんとしてでも手に入れておきたかった。
S字フックは日本だと100円ショップなんかで3つくらいセットで売っているが、ソウルのあちこちで探してみたが、販売しているのを見つけられなかった。どの店でも商品をぶら下げるのに使用されているのを見かけたが、どこに売っているのかを誰に訊ねても答えが返ってこなかった。
店で余っているフックを手にとって、売ってほしいと言ってみたが、相手にされなかった。
いくら探しても売ってないし、あり余っているのに売ってくれないので、困り果てた僕は、チェーンロックを買う際に、あたかもチェーンロックの一部のようにひっかけて、レジに持っていってみた。
店員は気づかずに、S字フックがくっついたチェーンロックを雑に袋に入れて僕に渡してくれた。
ちょっとドキドキしたが、なぜこんなものを手にいれるだけで、どきどきしないといけないのか。
日本では各家庭にゴロゴロ無駄に転がっているような簡易フックは、韓国でも同じだった。なのになぜか売っているところが見つけられない。
言葉も自由に使えない初めての土地では、こんな些細なことですら苦労するのだから、これからもっともっと苦労することがあるのだろう。
そんな苦労が楽しいと思うのが旅なんだろう。
もったいないけどわくわくしない
バックパッカー ルー
テーウィン旅館にはもう6日も滞在している。宿のメンバーは入れ替わりが激しくなった。
ニュージーランド人もガーナ人も、昨日ソウルを発った。代わりにアジアの太った女性とか、カナダ人の親子とか、浅黒い肌の男女のカップルだとか、とにかく世界中の多種多様な人たちでドミトリーのベッドはすべて埋まった。
僕の上段のベッドにいる48歳のベルギー人のルーは僕と同じくらいこの宿に来て、僕と同じくまだ滞在している。ルーはなかなかのナイスガイで、3年以上こういう旅をしていた。旅慣れていて、何事にも動じない風格と、人に気を配る神経を持っている。
ベルギーは英語が母国語ではないはずなのに、彼は流暢に英語を話す。
何を言っているのか、英語がヘタクソな僕にはよく分からないが、とても陽気である。本を好み、1日中部屋にいるときもある。
ソウルに着いてから、あまり熱心に出歩く様子は僕からは見受けられない。それが長く旅するバックパッカーというものなのだろうか。
戦争博物館

昼前に宿の外に出て、漢江と梨泰院に行ってみた。
今日はとても寒くて、漢江でゆっくりしていると凍ってしまいそうだった。天気はよかったので、缶ビールを買ってみたけど、さらに寒くなってしまった。
梨泰院はガイドブックによく出てきて、日本人がよく行くところなので、少しのぞくつもりで行ってみた。
その途中で戦争博物館というとてもでっかい建物があったので、中に入ってみた。韓国の歴史にそれほど興味はなかったが、日本のことがどのように紹介されているのか興味があった。
しかし日本のことについては展示されているところが見つけられなかった。矢印通りに進んだつもりだったけど、見過ごしてしまったのだろうか。
4階建てのビルをほとんど足も止めずに通り過ぎた。戦闘機や戦車が実物大で何十台も展示されているのは驚いた。
梨泰院は完全に素通りした。買い物をするつもりのない僕には特別魅力的な場所ではなかった。
通り過ぎたのはいいが、地下鉄の駅までものすごく遠く、歩くのに疲れ果てた。
抜糸
折り鶴
昨日の夕方から夜にかけてドミトリーは僕とベルギー人のルーだけだった。僕が日本から持ってきた折り紙の本を広げて、ゴミ箱を作ろうとしていると、珍しくルーがベッドから降りて来て、僕に話しかけてきた。
ルーが珍しがるので鶴の折り方を教えてあげた。鶴のことはcrane birdというらしい。
器用に見えるルーも折り紙は難しかったようで、苦心の末にできた自分の作品を
「オー、クレインバード! ブーン、ブーン」
などと言いながら、子どものように喜んでいた。
ルーとはしばらく話をした。僕の英語が情けないほど乏しいので、時々辞書を引きながらの会話だった。
3年以上もアジアを旅しているルーの知識は僕にとってかなり役に立つはずなのに、僕は難しい情報を得るような会話ができなかった。もどかしくて、もったいない。
そうこうしていると、釜山に行っていたヤマウチくんがソウルに戻ってきた。彼は僕に輪をかけて英語が苦手であった。
今日は街を歩かずにずっと本を読んでいた。
夕方くらいになってスーパーマーケットまで買い物に行った。コンビニより安く、品揃えもよく、もっと早くこの店を見つけていればよかった。
クレイジー!
夜になってヤマウチくんに頭の傷の抜糸を頼んだ。彼は少し頼りなさそうに見えたが、日本語が分かる人じゃないと僕が不安だった。
簡単な作業だと思っていたけど、縫い方がとても雑で縫っている糸が黒色だったので、糸を見つけるのに苦労したようだ。
僕らのことを二段ベッドの上から眺めていたルーは、気になって声をかけてきた。拙い英語で、僕が釜山で起こった事件のことを話し、その時に縫った糸を抜いてもらっていることを説明した。
ルーは「クレイジー!」と叫んでいたが、放っておけなくなったようで、ヤマウチくんに懐中電灯を照らさせて、自分はハサミを手に取り、僕の頭を縫っている糸を探し始めた。
縫った後に血や体液が糸に絡みついてかさぶたになっていたので、かさぶたも少しずつ取らなければならなかった。
髪の毛も大分切られた。
3針分の糸は抜けたが、最後の1本分の糸がどうしても見つからない。僕が手で触っても、ナイロンの糸のような感触はなかった。3針しか縫っていなかったのだろうか。

少し疑問は残ったが、糸がもう見当たらないので、3針だったのだろうということで、最後に赤チン(ヨードチンキ)を塗って、ルーのオペは終了した。
ルーの旅したコース
ヤマウチくんはまだ夜が明けきれていない5時にテーウィン旅館を出ていった。
6時に出発予定だったけど、夜中の2時くらいから眠れなかったそうだ。せっかちで、心配性なのだろう。
僕は今日も1日ほとんど歩くことがなかった。WENDY’Sでミルクシェイクを1つ頼んで昼過ぎまで手紙を書いた。
日曜日だったので、しばらくすると店内は満席状態になり、僕は仕方なく宿に帰った。
宿ではルーが薄暗い部屋で一人本を読んでいた。ルーはほとんど出歩こうとしない。旅人とはこういうものなのだろうか。少し変わり者が多いのかもしれない。そういう僕も、ソウルが楽しい街だとは思えず、同じく部屋で本を読んだ。
お互い本に読み疲れ、また辞書を片手に会話に興じた。
ルーが中国を旅したコースや安かった宿を教えてくれた。ルーの旅したコースを参考に僕は中国を旅するルートを大まかに決めた。
まず威海から北京に行き、しばらく過ごす。次に古都西安に行き、歴史を楽しむ。そして重慶か宜昌で長江の三峽巡りをし、昆明をまわって、広州から香港に入る。
これで大体1ヶ月くらいになりそうだ。
チベット地区は少し遠いので、ネパールから入ろうと思う。そしてバスでミャンマーを抜けて、バングラデッシュを経由してインドに戻る。こうなるとオセアニアは旅の最後になるだろう。
ルーが日本のキン肉マンのトランプを持っていたので、しばしゲームをした。
カブを教えて、ページワンを教えて、神経衰弱をした。
今ドミトリーには8つのベッドがある中、5つ埋まっている。でも21時を過ぎないと、僕とルー以外の人は部屋に帰って来ない。ガイドブックを見て、あちこち観光しているようでもない。果たして彼らは何をしているのだろうか。
ソウル最後の夜
ルーとレオンと

土曜日から泊まっている28歳のドイツ人・レオンはとてもファンキーだ。口笛を吹いたり、鼻歌を歌ったり、時には歌詞付きで歌ったりもする。
坊主頭でいかにも「ドイツ人」という顔立ちの彼はよくしゃべり、よく笑う。僕が「こんにちは」という日本語を教えてあげると、うれしそうに何回も復唱した。
それでいて、なかなか頭がよさそうだ。それはベルギー人のルーとレオンと3人で会話をしているときにも感じる。
ルーは英語を母国語同然に話すが、スペルには弱いようだ。僕が理解できない英語の意味を分からせる手段は、ルーの場合は僕の持っている辞書を使うしかない。だがレオンにかかれば、僕でもすぐ分かるようになる。
例えば、「リート」と聞こえる単語の意味を僕が理解しかねていると、ルーは「リート、リート」と繰り返し、なんで分からんのかと言わんばかりの形相になるが、レオンは「write-read」と類似する単語をあげてくれる。それで僕は「リート」ではなく、「リード」のことかとわかるようになる。
ルーもとてもいい人なのだが、言葉の壁というのは、どんなときもいい点ばかりじゃないよってことを教えてくれるフィルターのような役目をするのだと思った。
ソウル最後の晩餐
今夜がソウル最後の夜になる。
そう思って、ビールの大ビンともち米を辛ソースで煮たものを買ってきて食べることにした。後で「地球の歩き方」を見て知ったのだが、このもち米を辛ソースで煮たものというのは、トッポギというらしい。通りの屋台で売っていたのだが、道行く人が買って帰るのを見て、食べたくなった。「地球の歩き方」には、若い女性にも人気があると書いてある。

期待もあって、キムチ鍋の中に入っているもちのようなイメージをして口に入れたのだが、どうも期待はずれだった。ソースは出汁が効いてないのか、ただ辛いだけで、旨味がない。トッポギ本体もふにゃふにゃしてるだけで、マカロニをもう少し粘らせたような食感だった。
僕の舌には合わなくて、最後まで平らげるのに、努力が必要だった。
さらにビールも日本のビールとは違っていた。馴染のない味だからか、これもうまいとは思えなかった。
貧乏旅行ゆえに、お酒も我慢していて、ソウル最後の夜だという理由を作ってせっかく買ったものが、ことごとく失敗だった。
韓国最後の夕食は決していい記憶にはならないだろう。
韓国はもう飽き飽きとしていたが、最後となるとやり残したことがあるようで、心にひっかかる。出国というのはこういうものなのだろう。
韓国出港
ようやく中国のビザ取得
朝、中国大使館へビザを受け取りに行った。「20」という数字が書かれていた。
お金が必要らしい。
なんのお金なのか分からないけど、それを日本語以外で確認するのは難しいし、大使館が怪しいことをするはずはないだろうと思って、払うことにした。
トラベラーズチェックで払えるか、と訊いたが、オンリーキャッシュだという。
参ったな、という顔をしていると、近くにいた日本語がものすごく上手な韓国人の老人が話しかけてきた。
「お金貸してあげましょうか」
なんと、初めて会った異国の人間にお金を貸してあげると、わざわざ申し出てくれたのだ。
韓国初日の経験からして、こんな親切な偶然はない。だけど、ここは大使館であって、詐欺みたいなことをする人が選ぶ場所ではなさそうだ。それに老人もビザを取りに来たところだという。
迷ったが、銀行がすぐとなりにあるというので、丁重にお断りをして、銀行に向かった。
韓国人にもいい人がいるという経験を最後にしたのはよかった。
隣の銀行でUSドルのキャッシュに換えてもらい、再び大使館に戻って、20USドルを支払おうとすると、韓国ウォンで20,000₩支払えという。韓国なのだから、USドルじゃないのは当然かと今更気づいた。
僕は再び銀行へ行き、50USドルを韓国ウォンに換えてもらい、三度大使館に戻り、ようやく中国のビザを得た。あとは韓国を出国するだけなのに、無駄に韓国ウォンが増えてしまったのは予定外だった。
それにしても、韓国の銀行は開店してから業務の準備を始めるので、ずいぶん待たされた。きちっとした雰囲気はちゃんとあるのに、時間にはルーズな感じがして、おかしな気分だった。
フェリー乗り場へ
テーウォン旅館に戻り、まだしばらくソウルに滞在するというルーに別れを告げて、宿を出た。
フェリー乗り場は中国人と韓国人でごった返していた。僕は地球の歩き方の中国編を何度も読み返して、間違いのないように窓口に並んだ。
並んでいる「中人」と「韓人」はどちらもきちんと並ぼうとはしない。2列に並ぶ印があるのに、3列、4列と横に膨らんで、割り込み合戦になる。
おまけに前の人との感覚をまったく空けようとしない。僕の背中には後ろの奴の体触れ、さらに押してくる感じなので、とても嫌な気分だ。
登場手続きが終わって、イミグレーション・税関の時間まで待合室にいることにした。
韓国人のセールスだか、宗教関係だか知らないが、僕のところにもいろんな人がやってきて、話しかけてきた。
日本語の話せるキリスト教のおばちゃんは中国語で書かれた本を僕に渡し、中国人の誰かに渡してと言って、1冊くれた。僕にとっては迷惑な話なのだが、とても熱心なことだと感心した。
税関・イミグレーションは、また割込合戦である。彼らは横のつながりがあり、友人知人がいると、当然のように割り込んでくる。僕は内心イライラしていたけど、これが韓中式なのだと、諦めて、気長に構えることにした。
船は1時間ばかり遅れて出発した。韓国との別れにはなんの未練もなかった。
船の乗客の中にバックパッカーを探してみたが、一人も見当たらなかった。
フェリーの大部屋
僕の2等の大部屋には中国人のグループがいた。僕はそれを見て、居心地の悪さを感じたのだが、その中の一人の若い女性が日本語を少し話せるようで、しきりに話しかけられた。
柿をむいてくれたが、なんとなく断った。次は豆乳をくれた。くれるものが微妙だ。だが豆乳は断りきれずにいただいた。
話を聞いていると、どうやら韓国の大学へ留学していたときの仲間で、久しぶりに韓国に訪れたらしい。会話を交わすと、妙に親近感が湧いてくるようで、僕は日本語を話せる彼女を通して、そのグループの人たちといつしか会話を交わしていた。
僕が世界中を旅したいと思っていることを話すと、彼らはまず最初に「お金は?」と訊いてきた。
一生懸命働いて貯金した、と伝えた。どれくらい、と訊かれたが、そこはうやむやに誤魔化した。
次の訊かれたのは「なぜ?」だった。なぜ世界中を旅したいのか、彼らには疑問らしい。
いろんな価値観が違うだろうから、説明が難しいと思った。どう答えたら理解してもらえるだろうかと悩んだが、結局は「昔からの夢だから」とだけ伝えた。
納得したのか、しないのか、彼らは「ふーん」とだけ言った。
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