ポカラへの道
朝の5時50分に起きた。さっと身支度を整えて、ブッダゲストハウスの部屋を出る。
ブッダゲストハウスはまだ営業前で、玄関のドアは閉まったままであった。僕は宿の主人が眠っている奥の部屋に向かって、「ハロー」と声をかけた。熟睡しているらしく、なかなか出てこないので、次第に声を大きくしなければならない。
そもそも、昨夜、もし僕が起きていなければ、6時に起こしてほしいとホテルの主人に頼んでいた。だが6時20分に、僕が大声で呼んでも、彼は起きてこない。
思い返すと、昨夜のうちに宿代の勘定を済ませたのだが、その際もどうも気に入らないことがあった。後になって払った、払ってないのやりとりをしたくなかったので、レシートをくれと頼んだのだが、主人は「信用しろ」「大丈夫だから」と言うだけで、頑なにレシートをくれなかった。
そのやりとりをしていると、カウンターに置かれていた宿帳が目に入った。僕と同じ部屋が100ルピーで貸し出されていた記録が残っていた。僕は120ルピー払っていた。これくらいのことは日常茶飯事だし、すでに支払いは終わっているので、文句を言うつもりはなかったが、主人は慌てて宿帳を閉じた。ニコりともせずムッとした表情のままだった。そのままレシートもくれずに、奥へ消えていった。
ブッダゲストハウスというくらいだから、チベット人なのかと思うが、とにかくユーモアの欠片もない人である。
バスを見つけて乗ろうとすると、すぐにネパール人が「コンニチワ」と日本語で話しかけてきた。
「ポカラのホテル」の客引きだった。ポカラに着いたら兄が君を迎えに来てると思うので、ぜひ一泊でいいから泊まってほしいということだった。シー ズンオフなので客取りに必死のようだ。名前を聞かれたので答えたが、100ルピー以下のホテルじゃなければ、宿泊しないことは付け加えた。
バスの中は地元の人とツーリストが半々の割合だった。日本人は僕以外に3人いた。男2人に女が1人 のグループで、いずれも年配だった。その中の1人の男はネパール、インド、チベットにやたら詳しく仕事絡みのようだった。
僕は彼らを特に意識せずバスに乗ったが、彼らも同様だった。結局、ポカラまで一言の挨拶もせず、別れた。異国でお互いに日本人だと分かっているのに、故意に無視しているような感じがあって、 僕は何か気まずい思いがした。
バスは出発も帝国であったが、到着も帝国の15時であった。ネパールは時間に正確のようだ。それとも偶然だろうか。
バスを降りると、カトマンズでの約束通り、僕の名前が書かれた紙を持つ男が僕を迎えに来ていた。僕は気が進まなかったが、断ることもできず100ルピーの部屋があるのだなと念押しして、男と一緒にホテルへ向かった。
カトマンズで聞いた話では、車が迎えに来ているから、ホテルに並ぶホテルが並ぶダムサイドまで無料で行 けるということだったが、 実際には車では来ていなかった。100ルピーの部屋と連呼していたので、こいつに車はもったいないと思われたのだろうか。
僕の名前が書かれた紙を持った男は、僕をホテルへ連れて行くようにと、また別の男に伝えて、本人は他の客を探しに行った。
僕の引率を託された男はタクシーに乗ってもいいかと僕に訊いてきた。
「いや、歩いて行く」と僕が言う。
「せめてシティバスに乗ろう」と、男は食い下がる、「バスだとたったの2ルピーだ。歩いていけば30分もかかるんだ」
2ルピーならとバスを待ったが、15分ほど待ってやってきたバスは、超がつく満員で、バスの後ろにしがみついている奴もいたくらいだ。とてもではないが バックパックを背負った僕が乗れそうにはなかった。
男は半分出すからタクシーに乗ろうという。40ルピーかかるので20ルピーずつだった。僕は20 ルピーを出すのをしぶったが、必死に懇願する男がかわいそうなので、タクシーを使うことにした。しかし、ネパールでは20ルピーも安い金額ではないだろうに、日本円の恩恵を与えられている僕が渋って、ネパール人が積極的にタクシーに乗りたがるのは変な感じだ。
5分でホテルに着いた。ホテルの名前はニューホテルパゴダ。カトマンズで聞いていたのと違うホテルではあったが、同系列のホテルらしい。
安い部屋をと僕がうるさいので、どうやら安いホテルに連れて来られたようだ。
部屋を見せてもらって値段を訊くと、シャワートイレ付きで250ルピーという。もっと安い部屋をと言うとシャワートイレなしで150ルピーだという。じゃあやめだ。僕はそう言って床に下ろしていた荷物を持ちかけると、「わかった、100ルピーでいい」と困ったように言った。
同じような部屋に他の日本人が200ルピーでもう1ヶ月近く泊まっているので、くれぐれも内密にということだった。
ホテルの人に悪いような、わがままなことを言ったような気がした。だが、考えてみれば僕はちっとも悪くないはずだ。カトマンズで声をかけて来た客引きのときから、一貫して100ルピー以下と言い続けてきたのだ。どうも日本人はお金持ちという印象が強く、たかられやすい。お金持ちにはなったことないが、お金を持つと、こんな風に常にお金目当てで人が集まってくるのだろうか。人が信用できなくなりそうだ。
朝から何も食べていなかったので、ポカラで有名な日本人の溜まり場であるレストラン「アニールモモ」へ行った。
ポカラにも、日本語の文字で、看板に「安い」とか「安心」とか描かれたレストランはたくさんあった。でもその中で一番日本語の文字がしっかりしていて、アットホームな感じがするのはこのアニールモモだった。
店内に入ると、そこには日本人客が3人いて、日本の漫画を読んでいた。小上がりで寝転がって、完全にくつろいでいる。外国に来てるような雰囲気はない。いや日本でもここまでくつろがないだろう。
「こんにちは」と挨拶を交わしただけで、3人とも全く会話をせず、ただ漫画を読んでいる。
店内には日本の小説や漫画がたくさんあった。日本人旅行者が置いて帰ったものだろう。
僕はフライドモモとホットミルクを頼んだ。最近は、「モモ」にはまっている。ネパールでは、豆のカレー「ダルバート」と並ぶ国民食のようだ。
小籠包や餃子に似たような料理で、店によって形は丸かったり、半月状になってたりするが、どの店で食べても外れはない。蒸したモモが一般的だが、揚げたり、スープにしたりと、種類がある。焼きモモは見たことがない。
何もすることがなくて漫画を一 冊手に取ってみたが、全く読む気にはならない。なぜ外国に来たのに、日本の漫画で時間を浪費しなくてはいけないのか。
日本人から情報を聞きたいと思ったが、3人とも漫画に夢中で話しかけにくい雰囲気を醸し出している。ある場所に長期間滞在し、旅を続けずに停滞してしまうことを「沈没」というようだが、その類なのだろう。それだけ居心地のいい場所だということだ。
そのうち1人出ていき、2人が出ていき、店の中は僕ともう1人の2人だけになった。
彼は地球の歩き方や雑誌の類をパラパラとめくっていたが、本に集中するような様子ではなかった。何もすることがなくて、 困っているようにも見えた。
僕は情報を集めたいこともあって、話しかけてみた。
イワキという名前の彼は4ヶ月前に日本を出て、東南アジアを回って、ここポカラには1週間ほど前に着いたという。
3日前に雨が降ってそれから少し寒くなったが、その分ヒマラヤも綺麗に見えるようになったという。これからインドへ再び入り、ボンベイからケ ニアに飛ぶつもりらしい。ミャンマーとチベットの情報を訊いてみたが、詳しいことは分からなかった。彼はナセントゲストハウスに泊まって いるという。
名線とゲストハウスは、西安で出会ったヤマちゃんが僕に勧めてくれたゲストハウスだった。客引きに捕まらなければ、僕はそこへ行くつもりだった。
ドミトリー で40ルピーだという。パゴダホテルの半分以下だ。失敗したと思った。
街を少し歩いた。ネパール第2の都市だがとても小さく、都市というよりリゾート地だ。近くにペワ湖があり、ゆったりしたところだ。ペワ湖沿いにある街並みをレイクサイドといい、いわゆるメイン観光エリアだ。観光客も多く、ホテルやカフェ、レストラン、土産物屋が建ち並び、人も賑わっている。
一方、バックパッカーの多くが滞在するローカルエリアをダムサイドという。ダムサイドには地元の人も暮らしていて、おしゃれなカフェやレストランは少ない。その分、ローカルプライスで料理を提供してくれる店が多い。
ふと山の方を見ると雲だと思っていたところに、はっきりした輪郭が見えた。ヒマラヤ山脈だ。
全体がはっきりとしたわけではないが、一部分絵はがきのようにはっきりしていた。これがヒマラヤか。なるほど迫力がある。
一面晴れ渡ると、さぞかしすごいのだろう。40ルピーの宿で移って、ヒマラヤがはっきり見える景色を待とう。僕は嬉しくなってきた。
ヒマラヤは今日も雲の中
今日も曇りだ。
ナガルコットのときからずっと、ヒマラヤが見えない。僕はヒマラヤに嫌われているようだ。
宿泊するホテルをナセントゲストハウスに変えた。昨日アニールモモで出会ったイワキさんと、同じくアニールモモで漫画を呼んでいたササヅカさんがいた。3人が1部屋に寝泊まりするミニドミトリー形式で、全員が日本人になった。
外を少し歩いて、陽の当たる場所で本読んでいると、自転車に乗ったネパール人が声をかけてきた。
また何かの客引きか、物売りかと思って、しばらくはそっけなくやり過ごしていたが、「ガイド」というワードが出てきたので、つい「 ハウマッチ?」と訊ねてしまった。
考えてみれば、僕はネパールにトレッキングをしに来たようなものだ。だから心の奥では、こうやって声をかけてくれるネパール人を探していたのかもしれない。
どういうルートがあるのかもあまり知らない僕は、彼の話を聞きながら地球の歩き方をめくった。
男が温泉のあるタトパニがいいところだと勧めるので、ついついそこへ行く気になってしまった。僕は今日、鼻水が止まらなくて、体もだるく、熱があるようだった。もし出発するとしたら3日後の水曜日だと言うと、男は「OK、プロミス」と喜んだ。
ヒマラヤでトレッキングするには、パーミットが必要になる。パーミットを一緒に取得するため、火曜日の朝、再び会うことになった。
ガイド料は、1日8USドル、食事別である。相場を知らないため、高いのか安いのか、僕には分からなかったが、とにかく行ってみようと思うのだ。
ナセントゲストハウスに戻り、同室の日本人に一緒に行かないかと誘ってみたが、2人とも行かないという。複数で雇うと経費 も安くなるのだが仕方がない。
イワキさんと話をしていると、どうも旅のルートが似ている。僕が中国の楽山に寄り、 岩本さんはタイのバ ンコクに寄った。それだけの違いだった。西安や成都で出会った日本人のことも知っていたので、微妙にすれ違っていたのかもしれない。
ヒマラヤトレッキングにガイドは必要なのか?
昨夜は明け方まで雨が降っていたが、朝になると、 雨上がりのヒマラヤがすごかった。
迫力のある立体的な景色になっていた。雲で隠れる部分があちこちにあったものの、ぼやけた感じがなく、くっきりと迫ってくるようなヒマラヤは、今のような寒気の時期でもあまり見られないようだ。
ようやくヒマラヤが顔を見せてくれたようだ。
僕は相変わらずネパールの国民食モモにハマっている。今日も安いモモを探して、ついに10個で10ルピーのモモを見つけた。2皿食べた。モモは本当にうまい。日本でも餃子が大好きだが、1人前20円ほどで食べられる餃子は最高だ。
夕食に、イワキさんと2人で、近くの「オヤジの店」にダルバートを食べに行った。
「オヤジの店」とは、近くにある地元の人たちを対象に開いているレストランだが、店に名前はない。6畳ほどの店内にはテーブルが2つしかないが、店の主人は英語を話せるため、ローカルプライスなのに、会話ができる。僕たちはこの店の主人を勝手に「オヤジ」と呼んで、オヤジとの会話を楽しみに来ていた。
「オヤジの店」には日本人が3人いた。
会話をしてみると、その中の1人が、水曜日にトレッキングに行くという。僕と同じだ。
話を聞くと、食費込みで1日10USドルだという。僕が1日8USドルのガイドの話をすると、彼は悩み出した。
周りにいた他の日本人の意見を聞きながら、僕達も含めて、いろいろ話し合った。複数人で行くなら、ガイドなしでも行けるんじゃないかということになった。全員初めてなので、少し不安だが、有名なルートで、トレッキング客は多く、地図もあるので、大丈夫だろうという判断となり、同じ日に出発する予定だったミタという彼とイワキさんと僕の3人で、ガイドなしで行くことになった。
一番最初に僕が一人で行こうとしていたのは、総額170USドルくらいで、ガイドなしで行くことにすると、総額で100USドルを切るくらいになる。仲間が増えればコストも安くなるものだ。
交渉術は旅の必須スキル?
ミタさんと10時に「オヤジの店」で待ち合わせをして、パーミットを申請しに行った。
イワキさんは調子を崩したようで、明日の出発をやめることにした。
ただ、ジャケットやシュラフのレンタルショップを下見することにした。
イワキさんは金額にシビアである。高い値を言われると冷たくあしらう。これが外国で生き抜くための方法の一つなのだろう。
何軒目かの店で靴下を見ていると熱心に勧められた。
そこは夫婦でやっている店だった。はじめは奥さんの方が僕の相手をしていた。勧められるままに、いくつかの靴下を履いてみて、まあいいかなと思ったのが100ルピーという値段だった。
値段交渉の時、奥さんがその場を少し離れたので、旦那と話すようになった。絶対欲しいというわけでもなかったので、50ルピーなら買うと僕は言った。
80ルピーとか70ルピーとか言っていたが、他の店でいいのがなかったらこれを買う、と言って店を出て行こうとすると、旦那はOKと言った。50ルピーにするから、今買ってくれ、という。
その時、横にいた奥さんはすごく怒った顔 をした。
旦那は他のツーリストには100ルピーと言っているので、内密にと最後に付け加えた。演技なのだろうか。
奥さんの怒った顔が忘れられない。僕はとても悪い気がした。でもこの国、特にツーリストの街ポカラで、値切らないのは良くないことだと思うのだ。
陽気なおっさんの店なら、罪悪感はない。80ルピーのウォーターカバーを50ルピーで買ったし、闇両替で100ドル、5,700ルピーを5,800ルピーにもした。
正直者がバカを見るという風習になるのは絶対に良くない。だが本当に正直者かどうか、どうやって知る方法があるのだろうか。
ヒマラヤの絶景を満喫するためにサランコットの丘へ
7時に目を覚まし窓の外を見ると、ヒマラヤの真っ白な姿が広がっていた。
ほとんど雲がない。2日前の景色よりも、断然に迫力が違う。
調子の悪いイワキさんも、まるで入院患者のようによく眠るササヅカさんも、起き出して、3人でペワ湖のダムに行った。
ポカラの代表的な風景は湖の向こうに見えるアンナプルナ山群という構図であるが、それはおそらくこのダムから撮ったものだろうと思われる。ネパ ール人のカメラマンも何人か来ていて、大きなカメラで写真を撮っていた。

なぜかツーリストはいない。僕はイワキさんとササヅカさんに連れて行ってもらったのだけど、あまり知れ渡っているわけでもないようだ。
まさに絵はがきに採用されるヒマラヤの景色で、本物は絵はがき以上である。3日連続の雨は、山の上では雪になり、6,000から8,000メートル級の山々を白く塗り固め、美しく空間に浮 き上がらせている。中でも6,993メートルのマチャプチュレの頂きは、ピラミッドのようにとんがって見えて一際目に入る。
風もほとんどないので、ペワ湖の水面には白い山々が映っている。
誰かがペインティングでもしたかのように陰影まではっきりと映っている。
ポカラはネパール第二の都市であるのに人口が少なく、それゆえにヒマラヤとペワ湖と少し人造物という姿がマッチする。
これが自然なんだと思いっきり主張しているような、そんな姿をしていた。美しいというより、神々しい。
しばらく見て、「オヤジの店」にチャイを飲みに行った。
オヤジが庭に机と椅子を出して、ヒマラヤが見えるところにセットしてくれた。3人でチャイをすすっていると、スーパーロッジに泊まっているミタさんたち3人がやってきた。
ミタさんとオカジマさんとあと1人。
僕ら6人でヒマラヤを見ていて、こんな日にサランコット行ったらいいんだよなぁと誰かが言った。
サランコットとは、ポカラから歩いて3時間ほどのところにある丘のことである。
タクシーなら片道500ルピーくらいだそうだ。頭の中で行くべきかどうか考えていると、オカジマさんが誰かサランコットに行けませんかと言い 出した。僕はすぐに「行く」と応えた。そして僕とスーパーロッジの3人、計4人でタクシーに乗り、サランコットに向かった。
車で20分ほど走り、そこから5分ほど歩いたところに、展望広場があった。
足元には集落が見え、その中を川が走り、畑があり森があり、その向こうにマチャプチュレがドーンと構えている。
ダムサイドから見た時は遠近感がつかめず、少し歩けばすぐ行けるような印象があったけど、サランコットまで来るとその遠さと大きさがわかる。
双眼鏡を覗くと岩肌まで 見え、手が届きそうな感じもしてしまうが、じっくり見るとその岩の巨大さがわかり、もし人間がいれば米粒くらいの大きさにしか見えないの だろうと思われた。
陽がぽかぽかとして気持ちが良く、ネパールについて一週間目にして僕はやっと美しいヒマラヤの全体像を見ることができた。

オカジマさんの想い
帰路は歩いた。
小さな子供がいて、あまりにも可愛いので一緒に写真を撮ると、本当に小さい3歳か4歳くらいの子供なのに、マネーをよこせと言ってくる。マネーがダメならスイートをよこせと言ってくる。この子たちの将来はどうなるのだろうか。

歩きながら旅の情報交換をしていると、オカジマさんが日本に帰るのは来年くらいになるというのが分かった。ずいぶん長い旅なので、どういうルートなのかを訊ねてみた。
「文化人類学に興味があるんですよ」とオカジマさんは言った、「いろんな国の底辺の人たちの生活を勉強しているんです。ネパールの後はインド、インドの後はバングラデシュ、バングラデシュの後はタイに行きます」
「仕事に関係があるんですか?」と僕が訊く。
「ないですね。好きなんですよ」
僕はオカジマさんに興味を持ち、インタビューのように、質問攻めにしてみた。
ーー将来は何になりたいとか、何かをしたいとか、あるんですか?
「僕は学校を作りたいんです。とりあえずネパールに。それでいよいよ来年の春にメルンというところに作れる目処がついたんですよ。友人、知 人、全部で20人くらいの人に助けてもらって。学校と言っても小さな小屋と広場があるくらいで、日本にあるようなものと全然規模が違いますけど」
ーーどんな学校にしたいんですか?
「フリースクールの形式でお金は一切もらわずに、とにかく楽しくて何かが身につく場所を作ってあげたいんですよ。日本円にしたら60万くらいで建てられるみたいですし、これくらいやったら俺にもできそうな気がするんですよ」
ーーどうやって場所を決めたんですか? 知り合いがいるとか?
「タイミングとか、運とか、運命的なものなんでしょうね。去年メルンに行って、村の人に聞いたら是非作ってほしいと言ってるので、あとは近隣の村の人がどう考えるのかなんですよ。メルンの人だけが集まるんじゃなくて、いろんな部族や村の人が集まってほしいと思ってるんですけど、場所の問題とか、宗教の国だから、もしかしたらカー ストのような差別的な問題があるかもしれないし、他にもどんな問題が出てくるかわからないですけど、とりあえずやってみてどうなるかですね」
ーーなんで学校を作りたいと思ったんですか?
「今22歳なんですけど、高校生の頃はカートやっててレーサーになりたいと思ってたんです。毎週末はカートの練習ばっかりしてたんですけど、ある日喫茶店で見た写真週刊誌のアフリカ難民の子供の顔にものすごいショックを受けたんです。俺ものすごい頭悪いから、とりあえず行って みて自分の目で見てみないと何がどうなってるのかわからなかったんですよ。ただただショックで。それでアフリカ行こうと思ったけど、ちょっと遠すぎ たんで、その手前にあるインドに行っていろんなものを見たんです」
ーーインドはどうでしたか?
「ストリートチルドレンの子といろいろ話してみたりして、勉強になりました。あいつら何かモノくれってすぐ言うけど、まだ子供なんで目だけは輝いてるんですよ。中にはすごい才能を持っている子もいると思ったら、可哀想で。ある時、仲良くなって写真を撮ろうとしたら、一人だけ入ろうとしない子供がいたんですよ。入れって言っても近寄ってこないんです」
ーーなぜですか?
「俺には確かなことは分からなかったけど、カーストみたいなものがあるんでしょうね。でもその子はまだ7歳くらいでしたけど、 絵を描くのがすごくうまいんですよ。今まで鉛筆や紙は彼らにとって高価なものでしたから、描いたことないらしいんですけど、僕のノ ートの絵を見よう見まねで描いたのはすごい上手かった。当然7歳にしてはということにはなるけど。日本だったら周りにチヤホヤされるような才能があると思いました。その子の母親にも、この子は絵がすごい上手いから、もっと褒めて描き続けられるような環境を作ってあげてほしいと頼んだんですけど。親にとっても、生活は厳しいだろうから、今頃どうしているだろうかは分からないですけどね」
ーーオカジマさんのこれらの行動のことを家族の人はどう思ってるんですか? 応援してもらってるんですか?
「親はどちらかというと反対ですね。小さい頃京都に住んでいて、俺が中学の頃、家族は西宮へ引っ越しすることになったけど、俺だけ残ったんですよ。それからずっと親とは離れて暮らしてるんですよ。なんとか自由は獲得しやすい環境です。父親は頑固者やし、母親は早く落ち着けと言うし、あっちこっち旅行に行くのも大反対ですよ。唯一 姉貴が味方してくれるというか、学校を作るのに協力してくれたり、今度旅に出る時は連れて行けと言ったり、心強い存在ですね」
オカジマさんはポカラの後、メルンへ行って、学校が作れそうだということを報告するらしい。人のためだけではなく、自分も楽しんでやっていきたいという、まだ先のことは分からないが、このことに人生をかけてもいいと思っているという。
一見普通の若者である。バイクが好きだし、酒も好き、タバコも好き、楽しむことが何よりも好き。そんな彼の中にしっかりした太いものが通っているのが、彼とじっくり話してみて分かった。
僕は久しぶりに熱い男に会った心地よさでナセントゲストハウスに帰った。そこでは、イワキさんとササヅカさんがゴロゴロとしている。
このササヅカさんは恐ろしくよく眠る。昼寝しても夜の8時過ぎには寝る。
かつて日本からケニア行きの飛行機に乗るときは、20時間くらいもの間ずっと寝られるというのがとても楽しみだったという。
僕も眠ることが大好きであるが、ササヅカさんには全然かなわない。
ササヅカさん曰く、旅も一年を過ぎると少しずつだがだれてくる、そうだ。21歳だそうだが、どこか妙に落ち着いたところがある。高校の頃は友達が全然いなくて、その頃から旅に出たいと思っていたらしい。
どうやら早熟のようだ。のほほんとしていて、いい味を出している。
今日もまた、夕方から雨が降り出した。これで4日連続雨である。
頼れる仲間か、不安の種か
とうとう明日からトレッキングへ行くことになった。
ここ最近降り続いた雨が、山では雪になり、アンナプルナB.C.方面へ行くのは無理だという。そのため、ゴルパニ・タトパニのコースを行くことにした。
イミグレーションオフィスで2週間のパーミットを取得した。
イワキさんがリタイヤしたので、ミタさんと二人で行くことになったのだが、少し不安だ。彼は釣りが好きなようで、頭も良さそうなのだが、どうも波長みたいなものが、僕とはちょっとズレがある。
ミタさんは山登りの経験はゼロである。そのくせ、ガイドはいらないと強くいう。二人だから心強いと思っているようだが、僕は心細い。道さえ間違えなければ、どんなにハードなところでも登っていく自信があるが、迷ってしまうとどうにもならない。
靴下を50ルピーで買った夫婦の店で、ジャケットとポンチョをレンタルした。
今日は旦那さんの方がいなくて、奥さんと小さな子供が4人いた。この奥さんは強い。力強い押しと一本も引かない気迫を感じる。
帽子も買ったけど、70ルピーと言われたものを10ルピーしかディスカウントできなかった。頑としてディスカウントしないので、逆に適正価格なのかなと、信用してしまう。
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