VOL.35 1996年12月7日 楽山
楽山の大仏に向かうが、中国のシステムが分からずトラブル発生、右往左往
昼ごろになって、ホテルを出て、大仏を見に行った。
全景は川岸から双眼鏡で、見て、後は歩いて大仏のとこまで行こうと思っていた。
ホテルの外にでると、いきなり遊覧船の客引きが寄ってきた。この客引きのおばちゃんは、昨日のホテルの客引きのおばちゃんに負けないくらいにしつこかった。
大仏が見えそうなところまで歩いたが、ほとんど霧のようなくもりで見えなかった。空は晴れていたのに。
そこでさっきの客引きおばちゃんがしつこく言ってきたのだが、値段を聞けば、昨日MR.Yangが言っていた10元と同じだったので、乗ってみることにした。
10元払って乗ったのはいいが、客が僕の他に誰もいなくて、30分経っても船は動き出さない。いつ出るのかとジェスチャーと筆談で訊ねたが、まったく相手にしてもらえない。挙句の果てに3人いた船員は全員昼食を食べにどこかへ行ってしまった。
僕は諦めて、気長に待つことにした。さらに10分ほど経過すると、若い中国人の男女が4人やって来た。
その中の一人が英語を少し話せるようなので、訊いてみると、彼らのいつ出発するのか分からないという。中国は本当にどういう仕組みで動いているのかよく分からないことが多い。
さらに10分ほど経つと、突然隣の船が動き出す気配を見せた。男女4人組があっちの船が出るみたいなので、お前も来い、という動作をしたので、僕は彼らと一緒に隣の船に乗った。
ようやく船は沖から離れて、向こう岸の大仏を目指した。
大仏の前でしばらくエンジンを止めてくれる。その間に客たちはカメラで写真を撮りまくる。撮った写真を郵送で送るのも立派な商売になっている。
船はエンジンを作動し、岸に着いた。男女4人組はうだうだしゃべっていて、他の3人の客は船から降りた。僕も降りようとすると、船員が僕に何かを言って、降りるのを制止した。
中国独特の途中下車かと思い、僕はまた別のところまで連れて行かれるのだと思った。岸から離れ、しばらくすると、女の船員が10元払えと言ってきた。
彼女の話によると、片道10元、往復で20元だそうだ。
男女4人組は行って帰るだけの往復チケットで、僕は片道チケットだった。船は別の場所へ行くのではなく、帰ろうとしている。
僕は怒った。僕が降りるのを止めた船員に、「お前が止めたから、俺は降りられなかった。元の場所に戻るのに、なんでまた余分な金を払わないとあかんのじゃ」と。
英語と日本語と中国語とジェスチェーで伝えた。
彼らは、もう船は動いてるし、しょうがないねんから、10元払ってくれ、というようなことを言った。10元、10元という。
僕を止めた船員は申し訳なさそうな顔をしたが、彼にはそれをどうにかする権限はなさそうだった。
さっきの英語が話せる客に、どうすればいいか助けを求めると、もう一度向こう岸まで行ってやるから、もう10元払え、本当ならもう20元払わなあかんけど、10元でいいぞ、ということだった。
僕はそんな妥協策で誤魔化されるもんかと思い、頑として金は一銭も払わないと言った。
僕は一人で、中国人はたくさんいた。ちょっとした人だかりができた。払う、払わんで話が行き詰まり、関係者はみんなどっかへ行ってしまった。
僕も船を降りようと思ったが、その時、こっちの船に乗れと、隣の船を指して、一人の中国人が言ってくれた。
僕は言われるがままに乗ったが、また別料金を請求されるのではないかと不安だった。誰も何の確認もしないまま、その船は動き出した。さっきと同じように、大仏の前でエンジンを止め、また動き出し、岸に着いた。僕はそこで降りた。
船員の一人が笑顔で、君はこっちに行きなさい、と大仏の道を指してくれた。どうやら事情を理解して、こちらまで運んでくれたようだ。僕は安心して、同時に彼らに感謝した。
ようやく辿り着いた大仏はあまりの大きさに足がすくむ
降りたところは大仏の前ではなく、大きな寺だった。大仏へ行くにはその中を通らなければいけなかった。いろんな種類の仏像があって、そういうのに興味のある人たちには面白そうな寺だった。
寺を抜け、山を降り、そこから先へ行くために関所の番人みたいな人がいて、20元支払わされた。そしてまた山を登り、また関所があって、さらに10元支払う必要があった。
だけど、僕は中国人10人くらいの団体の中に紛れていたからか、同じ団体の一員だと勘違いされ、素通りできてしまった。
食堂のような店が並び、その前には大きなたらいがあって、たらいの中には鯉とか鮒とかナマズとか雷魚がいた。日本では食べないような魚がおそらく料理のために泳がされている。
大仏は大きかった。
洞穴のような階段を降りて、眼の前に岩が見えた。実はそれが大仏の左足だったと気付いたのは少ししてから全体が見えるようになってからだ。
下から見上げたら、大きいのが分かるが、71メートルという感覚はなかった。
だけど、大仏の右側の階段を上っていくと、ものすごく高くて、大きいのが分かった。高所恐怖症の僕は、下を見ることができなかった。
しかも山を削った道であり、階段なので、崩れないかという恐怖もあり、足がすくむ。
上まで登り、見晴らしはよかったが、それ以上に高さが怖く、これを作った人たちの偉大さを感じた。
MR.Yangに手配してもらった三峽下りのチケット
18時前にホテルに帰り、MR.Yangのレストランへ行く準備をしていたら、MR.Yangが僕の部屋に来てくれた。チケットを持って。良かった。
しかもバス代が33元だったと言って、6元を払い戻してくれた。僕はサンキューを連発した。
MR.Yangはまだ仕事があるというので、僕だけ彼の妻のいるレストランへ行った。
青椒肉絲とご飯を頼んだ。出てきた料理は、やはり四川省だけあって、とても辛かった。口から火が出るかと思うくらいに。
レストランでMR.Yangからもらったチケットを見ていると、船のチケットが266元と書かれていた。昨日MR.Yangが見せてくれた料金表には306元と書かれていた。
代理店などに払うチャージは40元と聞いていたので、306元というのはチャージが含まれた代金なのだろうかと考えた。
成都で買った人も266元+手数料で300元だったと言っていたはず。
MR.Yangは自分はチャージと取らないと言っておきながら、40元のマージンを取っていたのではないかと、疑問がわいた。
その疑問がひっかかったので、僕はレストランでMR.Yangが帰ってくるのを待った。
1時間ほどして、MR.Yangは帰ってきた。MR.Yangは広げている僕のチケットを見て、「プロブレムはないか。大丈夫か」と訊いてきた。
その態度は堂々としていて、後ろめたいことなど全くなさそうだった。
僕は疑問をぶつけた。
すると266元というのは、今年の夏までの古い料金で、今は306元だ、その証拠に領収書には340元と書いてあるだろう、という。
僕は信じる以外に方法はなかった。それを確かめる術は僕にはない。重慶に行ってみなければ、本当かどうか分からない。
成都で300元だったというのがひっかかる。
そのうえ、日本人だとばれて、50%の上積みを請求されたら、僕は完全に損したことになる。なんかスッキリしない。
レストランに来る白人は多く、彼らそろってMR.Yangのことを「ナイスガイ」という。評判はいい。信じていいのだろうか。でも重慶に着くまではスッキリしない。
明日は朝6時前に起きなくてはいけない。7時発のバスに乗るのだ。起きれるだろうか。そんな早起きは万里の長城の時以来だ。
楽山は昼は暖かいが、朝晩は冷える。しかもこのホテルは寒い。ふとんも薄っぺらいのが1枚だけ。寝袋がなければ寒くて寝られないくだらい。
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