たちの悪いチケット売り
朝起きて、ふとんの中で本を読み、昼からようやく外に出かけたが、重慶の町はどこも似たような店が並び、なかなか位置関係がつかみにくい。
とりあえず、ミニバスに飛び乗って、朝天門へ行った。
チケット屋がたくさん並んでいる。その一つをのぞくと、重慶-武漢の船の3等室で266元と書かれていた。
楽山のMR.Yangはやはり嘘をついていた。266元は夏までで、今は306元だと言っていた。
嘘くさいとは思ってはいたが、今さらながらに腹が立ってきた。住所が分かるので、抗議の手紙でも送ってやろうかと思うくらいだ。
船乗り場付近にも客引きが多く、しつこい。靴みがきもしつこい。僕の靴は革ではないのに、みがかせろ、と言ってくる。いらん、と言ってもずっと、どこまでもついてくる。
しかし、たったの1元でみがいてくれるという。革靴じゃないので、さすがにどうしようもなく断ったが、これくらいなら笑える。
笑えないのは、船のチケット売りだ。あまりに何人も寄ってくるので、楽山で買ったチケットを見せた。
それでも2等室のチケットを買わないか、としつこい。
いらん、と言って、船の近くの川岸まで行っても、ずっとその後をついてくる。
たちが悪かったのは、帰り際の僕に英語で話しかけてきた男だった。中国語をべらべらとまくしたてるチケット売りが多い中で、英語を話せる人がいると、少し安心する。
でも本当はそういう男が一番怪しい。
その男は船でどこまで行くのかと、英語で訊ねてきた。僕は武漢までだとチケットを見せた。そして、ついでに僕の中で疑問だった、チケットの本当の値段を訊ねた。
僕は結局MR.Yangにいくらぼったくられたのかを知りたかった。
英語を話すチケット売りは、値段を教えようとはしないどころか、
「このチケットは人民料金だから、お前は追加料金を払わなくてはならないぞ。今から事務所に連れて行ってやるから、来い」
という。
余計なことをしたがる奴だと腹が立ち、「僕は上海大学の留学生だからいいんだ」と言ってみた。
それでも奴は「いや、払わなくてはいけないぞ」という。
僕は「Why?」を連発したが、奴は引かない。
「事務所のマネージャーは英語がすごくうまいので、彼に説明してもらえ」という。
奴が指さした先の事務所らしき建物は、見るからに怪しそうで、僕は急に怖くなった。
「What do you say?」と、僕は強い口調で睨んでみた。精一杯の虚勢だ。
奴は言う、「お前のチケットは武漢までは行かない。周遊するだけだ。武漢まで行きたいのなら、あと270元払わなくてはいけない」
ますます怪しくて、僕は恐怖よりも怒りが増してきた、「何言ってのや。しばくぞ」と日本語で怒鳴る。
奴は半分顔を引き攣らして、「日本人がっ」みたいな捨て台詞を吐いて、ようやく去っていった。
奴のせいで、僕の不安は増々ふくらんでしまった。ただでさえMR.Yangにぼったくられているので、そのうえに外国人料金を追加させられたら、僕は悔しい限りだ。
誰を信じていいのか分からない。皆が僕から金をむしりとろうとしている。
昨日買った重慶の地図も、0.5元ほどだが、ぼられていた。中国でぼられる金額など、日本にしてみれば、どれも微々たるものではあるけど、人間不信になってしまう。人が嫌いになりそうだ。
ゴクドウさん
朝から鼻をかみ続け、鼻の奥が痛い。こめかみを殴られたような、鼻の中に何か冷たいものを送り込まれたような、ガンガンする痛みで、それが頭の方にもつながっていて、僕を悩ませる。
昼と夜に外に出ただけで、僕は1日のほとんどをベッドで過ごした。頭が痛いのでバファリンを飲んで寝ようと思ったが、眠れなかった。どうも鼻がしっくりこない。
手紙を書いたり、本を読んだり、ベッドの上でできることをやるしかなかった。
明日もう1日、このホテルでゆっくりしよう。この調子で三峡下りに臨むのはもったいない気がする。早く暖かいところへ行きたい。寒いのは辛い。
夜10時前くらいに、日本人が一人やって来た。
長渕剛が、「とんぼ」の時にやっていたような坊主に近い髪型で、鼻の下だけひげを伸ばし、眉毛を剃り揃え、金縁のメガネをかけている。言葉は関東方面、左手には入れ墨が落書きのように描かれてあって、ズボンを脱ぐとひざのあたりまで入れ墨が彫られてある。
ヤンキーなんかじゃない、おそらくゴクドウだ、ホンモノだ。たぶんだけど。
ゴクドウさんはかなりのグルメのようだ。ここ中国ではカブトガニに1000元も出して食べたそうだ。日本でも熊の掌を食べるためにホテルオークラへ電話したそうだ。
熊の掌は、結局取り寄せになり、いつ食べられるか日時がはっきりしないので、諦めたということだったが、いくらくらいするのか訊ねたら、
「15〜20万くらいですね」
とあっさり答えた。
どうやらかなり稼ぎはあるようだ。
その他、彼はいろんなモノを食べている。ビーバー、ネズミ、サソリ、犬、雀などなど。オオサンショウウオも食べたかったが、一人で食べるには量が多すぎるのでやめたという。
ゴクドウさんは動物愛護運動の人たちのことが大嫌いだという。面倒くさい話になりそうだったので、詳しくは訊かないようにしたが、ゴクドウさんはありとあらゆるものを食べるということが大好きで、それを邪魔する奴らが嫌い、ということらしい。
こういう人が中国を一人で旅しているのは不思議な気がする。
旅する日記帳
極道さんがホテルを出ていき、また新たに日本人が2人やって来た。20日間の日程で中国を旅しているという。学生らしい。
彼らの内、一人は陣内孝則に、顔も話し方も似ていて、僕はこの日記の中で、彼のことを陣内くんと呼ぶようにする。
陣内くんは僕にあるノートを渡した。青いノートで、表紙には「旅遊日記」と記されていた。日記帳らしい。
陣内くんのいう事情によると、1994年10月17日に中国を旅していた女性が日記帳を買い、最初のページを埋め、次に会った日本人にその日記帳を渡した。渡された人は、それを持って、1995年2月26日まで中国のいろんなところを旅し、香港に辿り着いた。その頃、陣内くんの友人が香港にほんの数日だけ旅をした際に、その日記帳を渡された。
その友人は、次の日本人に会わなかったらしく、その日記帳を日本に持って帰ってしまった。それから1年以上の月日が経ち、陣内くんが中国に行くというのを聞きつけて、その友人は日記を復活させることを頼んだ。そして今日、僕のところにまわってきたということになる。日記帳そのものも運命の旅をしている。
日記帳を買ったのは、北海道に住むA.Nさんという女性らしい。日記帳の裏表紙には、「この日記の最後のページを埋めた人は、ぜひ送ってください」と住所が書かれていた。
日記帳がどうなったのか、心配しているかもしれないので、僕は彼女に手紙を書いた。そして、今日、日記が復活したことを綴った。
日記を買ってから2年以上経っているので、もうほとんど諦めていると思うのだけど、手紙が届けば少しは安心するかもしれない。
夕方も18時をまわり、部屋にさらなるニューゲストがやってきた。
イギリス人のサイクリスト、いわゆるチャリダーだ。名前はトム。ほとんど飛行機も使わずに、イギリスから自転車で旅しているという。
陣内くんはオーストラリアに8ヶ月ほど住んでいたことがあるらしく、英語が達者である。特に発音はジャパニーズイングリッシュとは異なる。
僕ともう一人の日本人は、陣内くんに通訳をしてもらって、トムと会話をした。陣内くんを介さないと会話ができない僕たちは自分たちを情けなく思い、陣内くんが頼もしく見えた。
これまでも西洋人と同部屋になることは少なくなかったが、その度に英語が話せないことの不便さを感じていた。ただ海外をぶらぶら旅をしていても、陣内くんみたいにうまく英語を話せることは難しいだろう。だから僕はイスラエルに行った際は、キブツで働こうと考えている。2〜3ヶ月働きながら、海外の人たちと会話に努めれば、それなりに上達するのではないだろうか。
今日この部屋にいる4人は、全員、明日18時の船に乗り、武漢へ向かうことになった。
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