【中国・北京編】期待を裏切らない破天荒な中国に興奮MAX

目次

中国入国

これが中国!

中国に着いた。威海というところらしい。

日本でも、韓国でもない、中国だ。かつて感じたことがない独特の興奮だ。

中国への入国は意外にすんなりと進んだ。

港の建物の出国には、人人人。誰か大物の有名人でもやってくるのかというような人だかり。

人だかりをくぐり抜け、中国でしゃべりかけてくるおっさんを振り切り、僕は通りへ出た。人も車も秩序がない。これは韓国よりもかなりひどいものだが、そのひどさが中途半端ではないから、僕は辟易するのを通り越して、見たこともない無秩序がうれしいくらいだった。

車はクラクションを鳴らしまくって歩行者の中を突っ込むように通っていくほど無秩序。歩行者は歩行者で車を避けながらも、立ち止まることなく道をふさぐほど無秩序。車も歩行者も一歩も譲らぬ無秩序。

コントを見ているようで笑ってしまう。

両替をしたいのだけど……

両替する必要があり、銀行を探したが、なかなか見つからない。すると、いつの間にか中国人にまわりを囲まれていた。びっくりしたが、顔を見ると敵意はなさそうだ。バックパッカー姿なので外国人だと認識して、興味津々なのだろうか。

その中のひとりのおじさんが話しかけてくる。完全な中国語でまくしたてるので、何を言っているのかさっぱり分からない。

僕は、マネーとかチェンジとか、簡単な英語で両替をした旨を伝えたが、彼らは中国語をまくしたてるばかりで、会話がまったく成立しない。

僕は仕方なく、筆談に変えた。紙に「外貨両替」と書いて、見せた。

しかし、その文字を見ても、まわりの中国人は誰も意味を理解せず、眉をひそめ、首をかしげる。

中国は英語が通じなくても、漢字で会話ができると思い込んでいたので、衝撃だった。

僕はバックパックから「6カ国語会話」という本を持ち出して、両替のページを開いた。そこには「換銭」とある。両替は完全に日本語で、中国ではまったく通用しないことを知った。

「換銭」でようやく意味が通じ、銀行の場所を教えてくれた。教えてくれるだけでなく、そのほとんどの人が一緒に銀行までついて来てくれた。有名人になったような気分だ。

銀行に入り、100USドルを中国元に替えてもらった。余った韓国ウォンも両替したかったが、できないと断られた。

銀行から出てくると、今度はまた別の中国人に話しかけられて、同じように人だかりになった。

また6カ国語会話を持ち出し、ミニバス乗り場を案内してもらうことになった。

中国人は質問すると、暇であれば、努力してなんとか応えようとしてくれる。警戒していたが、悪い人ではない。

煙台へ

ミニバス乗り場から煙台行きのバスに乗った。

バスは乗車賃は12元。バスの中ではおばちゃんとふとんをたんまり積み込んだ男とが、ずっと大声で口論している。他の連中はその大声が全然気にならないのか、珍しそうに見ているのは僕一人だけだった。これが中国の日常なのだろうか。

さて煙台までは来れた。煙台という地名は地球の歩き方に小さく載っていたため、とりあえずは来てみたが、情報の頼りは地球の歩き方のみだ。

バスから落ちると、地図が描かれた観光パンフレットのようなものを持ったおばちゃんが寄ってきた。

パンフレットを僕に当然のように渡すので、「謝謝」と言って立ち去ろうとすると、おばちゃんは慌ててパンフレットの一か所を指さした。

そこには3元と書かれていた。

なんのことはない、有料なのだ。

僕はいらない、と言って、手を振って立ち去った。

おばちゃんは2.5元にまける、というようなことを言ったが、それでも僕が拒絶すると、怒鳴り始めた。中国語なので何を言っているのか分からないものの、「なんでこんな安いものも買わないんだ!」と言っているのだろう。

なるほど。感じたことをそのまま出し惜しみすることなく、表現するスタイルの国民のようだ。

「は?」

駅らしきところに行ってみたが、線路のようなものもなく、何が、いつ、どこから、どう走っているのか、把握できなかった。

駅員らしき女性が何人もいたので、何人かに訊ねてみたが、全く英語は通じず、中国語で「は?」と言われることが続いて、心が折れた。

途方に暮れて、一旦煙台で泊まって、じっくり考えてみることにした。

「地球の歩き方」に載っている安宿を頼りに、30分ほど歩いたが、それが宿なのかどうかも不確かなまま、その「山海賓館」を追い出された。泊まりたいんだ、というのを必死に伝えようとするも、「は?」で終わる。

言葉の壁もあるようなのだが、こちらの状況に一切耳を貸そうとしない人たちにも困り果てた。

煙台駅に戻り、近くのラーメン屋でラーメンを食べた。日本人が珍しいようで、店員や客が僕のところに寄ってきては、何かを話しかけてくるのだが、誰とも言葉が通じず、全く会話にならなかった。

しかし、久しぶりのラーメンはおいしかった。すじ肉と菊菜少し入っているだけの素朴なラーメンだった。

再度駅に行き、インフォメーションらしきところを見つけた。駅員らしき女性に地図を広げて、北京を指して、ここへ行きたいと身振り手振りで訴えた。

駅員らしき女性は、「は?」と愛想がなかったが、近くを通りかかった男性が、少し英語を理解した。その彼が通訳の役割をしてくれて、北京行きの「直快」が今夜22時30分に出発するという。

それを聞いて、すぐに切符を買いに行った。宿も追い返されて、泊まる場所にも困っていたから、煙台は素通りで仕方なしだ。そもそも単なる経由地であって、他の目的はない。

切符売りのおじさんは、ウンともスンとも言わない。北京と行っても、別に動く様子も見せない。

どうなっているのが、この国は。

切符をくれと手を出すと、おじさんは、お前が先に出せ、というように、同じく手を出してきた。

料金が分からないし、それを英語で伝えても無反応だし、最後の手段である筆談を試みる。しかし「いくら?」っていうのを漢字でどう書けばいいのか分からない。苦肉の策で「◯元?」と書いて見ると、面倒くさそうに、「66.00」と書いてくれた。

バスが130元と書かれていたので、列車だとその半額になる。安い。この値段設定は何なのだろうか。

僕は中国元を支払い、切符を手に入れた。座席は「軟座」と「硬座」の2種類あり、「軟座」の方が高級となっている。貧乏旅行の僕は当然「硬座」である。

中国式トイレ

駅ではうわさの中国トイレを初体験した。一応小用である。

駅の公衆トイレであっても有料で、2角支払った。

大用はうわさ通り、溝が一本通っているものだった。ちらっと見ただけなので、溝の中までは見えなかった。扉は一応ついていたが、下半分は丸見えなので、おっさんたちが溝をまたいでしゃがんでいる姿は丸見えだ。

いつかこのトイレで大用をしなくてはならないときが来るのが怖いと思った。

待合室は暖房がなく、寒い。その代わり、大きな樽が隅の方に置いてあって、湯は無料である。時々ポットを持った駅員が、回ってくる。駅員はなぜか歌を歌う。それもカラオケを用意して、歌うのだ。二人でラップのかけ合いのようなこともする。よく分からなかったが、サービスの一貫なのだろうか。

本当はおいくら?

駅の売店で「全国鉄道時刻表」を買った。「地球の歩き方」には5元で売っていると書いてあったが、売店のおじさんは10元だと言った。

払うには払ったものの、どうもうさんくさい。本の裏表紙を見ると、「伍元」と書いてある。

僕は売店に戻り、本の裏表紙を見せて、返せと迫ると、おじさんは10元だと言って聞かない。

僕は猛烈に腹が立って、日本語で「なんで?」「なんで?」と言って、出した手を引っ込めなかった。しばらくしかとしていたおじさんも根負けしたようで、悔しそうにお釣りの5元を放り投げた。

5元は日本円では70円程度だ。日本人の僕にとっては、70円足らずの小さなお金だが、このようなぼったくりが当たり前になっているのがすごく嫌だった。

夕方も17時を過ぎると待合室に弁当屋が現れた。弁当と言っても、ごはんの上にじゃがいもの煮たものとか、豚の骨を煮たのとかをぶっかけただけの簡単なものである。腹も減っていたので、1つもらって、食べてみたが、とてもおいしかった。別に凝った料理でもないだろうが、いい味加減で、日本で食べる家庭の味にも近しい。

ただ気になるのはやはりお金だ。5元払ったがお釣りは返ってこなかった。ということは、お弁当代は5元なのだろうけど、さっきの売店のおじさんの例もあり、正規の値段なのか、ぼったくられているのか、判断がつかない。

この調子だと、毎回同じような気持ちになりそうだ。

中国の電話事情

列車が出るまで時間に余裕がたっぷりあるため、日本に電話することにした。

中国ではまだ一般家庭の電話の普及が行き届いてないため、公衆電話も日本のようなコインを入れてかけるものは、北京や上海のような都会に行かなければない。

ここ煙台でもそうであるが、ほとんどの地区は店の電話を借りることになる。そして係の人が時間を測って、後でお金を請求される。

しかも原因は分からないが、つながらないことも少なくない。少し大きめのホテルの電話を使わせてもらうと、少し違うようだが、それでもつながらない。

言葉も人も電話も、何もかもが日本とは違い、実におもしろいと思った。

首都・北京

北京までの17時間の列車の旅

煙台から北京の列車の旅は17時間におよんだ。

僕は運良く窓際の席だったので、壁にもたれてなんとか眠ることはできたが、それでもさすがに疲れた。

あれがバスだともっときつかったのではないだろうか。

僕の前には中国人の中年夫婦が座っていた。中年のくせにいちゃいちゃと仲が良い。それは見ていて、決して気持ちのいいものではなく、僕には腹立たしさを感じた。断じてやきもちの類ではない。女はともかく、男は本当に気に入らなかった。

とにかく、気配りに欠けた。

僕が時刻表を自分の席の前のテーブルに置いていると、いつの間にか、その男ーおっさんーが手にとって見ていた。もちろん僕になんの断りもなく。会釈すらしない。そしてしばらく見て飽きたら、テーブルの上に放り投げた。

怒りというより、開いた口が塞がらなかった。これが世に言われる、中華思想たるものだろうか。

うわさに違わず、中国人はマナーというものがない。

平気で床にゴミを捨てる。つばも痰も吐く。椅子の上に土足で足を置いて、大声でしゃべる。

中国人の生活がにじみ出ていて、興味深くはあるが、正直なところ、一緒に暮らすことはごめんだ。

もっと驚いたのは、カップラーメンでも、ペットボトルでも、ゴミ袋でも、なんでも平気で、堂々と、窓の外へ放り投げるのだ。

服務員が2時間おきくらいに床を掃除しに来るが、その度に大量のゴミを収集することになる。

客のマナーは皆無だが、服務員のしつけは行き届いていた。⋯⋯と一瞬思ったが、それも間違っていた。

服務員も集めたゴミを車外へ捨てていたのだ。

どいつも、こいつも、ひどい見識を持っている。

北京での宿探し

北京駅に着いたが、とにかく宿を探さなければ、安心できない。ここで頼りになったのは、ソウルの宿で一緒だった、ルーから教えてもらった宿だった。

地下鉄に乗るにもたくさんの人に訊ねることとなった。身振り手振り、紙とボールペン、「6カ国語会話」と、ありとあらゆる手段を使って、なんとか17番のバスに乗ることができた。

教えてもらった場所でバスを降りたものの、手がかりは宿の名前だけだ。10人以上の人に訊ねて、ようやくたどり着いた。

まさかの出会い

ぼったくられないか、という不安はあったが、ルーから聞いていたとおり、28元だった。日本人も何人か宿泊しているようだ。

僕はとても安心した。チェックインしてから、日本人の一人で会話を交わし、その流れで、晩ごはんを一緒に食べることになった。

いろいろ話をしていて驚いた。なんと釜山で出会ったヨシダさんの知り合いのタカムラさんだった。タカムラさんのことは、ヨシダさんから聞いていて、ソウルから中国の旅の途中という。僕のルートと被るから、もしかしたら、どこかで会うかもね、と言われていた。

こんな広い国で、そんなことあるかいな、と思っていたが、バックパッカーのルートなど、似たりよったりなのだ。

昨日、煙台では電話がつながらなかったので、宿の電話を借りようとしたが、コレクトコールでないとダメだという。電話局に行けばいい、と言われ、30分以上も歩いたが、結局見つからず、宿に戻って、コレクトコールでかけさせてもらった。

北京は中国の首都のはず。なのに、この電話事情⋯⋯。この先が思いやられる。

中国の物価

北京の街を歩いていると、物価の安さにびっくりした

どうやら風邪をひいたようだ。喉が痛くて、鼻水が止まらない。

昼過ぎまで天安門広場付近を歩いていたが、体が冷えて、風邪が悪化するのを恐れて、宿に戻ることにした。

街を歩いてみて、、中国の物価の安さをあらためて感じた。1元は14円ぐらいだけど、1元の使いみちが多いのだ。

1元あれば焼き芋が食べられる。温かい飲み物が飲める。市バスに乗って往復できる。

2元あれば包子が食べられる。串焼きが食べられる。

外国人にとっては非常にありがたいことだ。

ホテルの横にあるスーパーマーケットは高かった。当然日本の物価と比較すると、とんでもなく安い。

例えば、カップラーメンが3.8元(約48円)。日本の3分の1くらい。だが、中国の食堂ではラーメンが3.5元で食べられるのだ。

カップラーメンが高級化している。人件費がべらぼうに安いということなのだろう。

他にも日本のキリンビールなどは10元以上もしていたので、中国人の価値観からすると、高すぎるだろう。

北京観光

商店でのショッピング

風邪はほとんど治ったと思い、僕は街を歩いた。

前門駅まで歩いていくつもりで、北京の一角を眺めた。服屋の並んだ一角で僕はセーターを買った。

タカムラさんは20元も出せば買えると言っていた。確かに20前後のセーターが店に並んではいたが、すぐにほつれてきそうな、ペラペラのセーターばかりだった。

僕はタートルネックのセーターが欲しかった。タートルネックならマフラーがいらないという理由だ。

僕が欲しいと思ったタートルネックのセーターが見つかり、値段を聞いた。

「多少銭?」

中国を旅するうえで、覚えなくてはならない中国語の第一候補は、「多少銭?」だと思う。

英語でいうところの、「How much ?」である。

初日からぼったくられることが気になっていたので、真っ先に覚えた。

店員は「88元」だと言ってきた。

日本円にすると1200円程度だ。日本の感覚だと安いのだが、中国の物価からすると、かなり怪しい。

僕は30元くらいのセーターはないか、というのを身振り手振りで訊いてみた。

口頭ではうまく伝わらないので、紙に「30元」で書いてみる。

それを見た年配の女性の店員は、二人で顔を見合わせてケラケラと笑った。

「そんもん、あるかいな」と言わんばかりの笑い方。

いかにも中国っぽく、悪気はないかもしれないが、能天気な感じ。釣られて僕も一緒に笑う。

笑いながら、その場を立ち去ろうとすると、店員の一人が、「60」と伝えてきた。

値下げをしてきたのだ。

なるほど。やはりふっかけられていたのだ。

僕は「60」と書かれた紙の横に「40」と書いた。

また笑いが起こった。

そして今度は、それを見ていた別の男の店員が、「55」と書きにくる。

僕はその横に「50」と書く。

またまた笑いが起こる。

しかし、男の店員は、首を縦に振った。商談成立。

もしかしたらもっと値切れたのかもしれないが、こういった交渉が苦手な僕としては上等だ。

50元を日本円に換算すると700円。十分だろう。

とにかく中国は安い。そう思わざるを得ない。

自然科学博物館

自然科学博物館へ行った。

人間の成長の過程を説明するのに、本物の胎児をホルマリン漬けにしていることで有名な博物館だ。

胎児は5週目で小さいながらも手と足がしっかりと判別できるほどに成長する。

そして3ヶ月目には拳くらいの大きさになり、4ヶ月目にはその倍ほどの大きさに、5ヶ月目には拳3つ分くらいの大きさになる。

人形のように真っ白で、手と足が細く、頭と腹が大きい。まるでアフリカの難民の子供のようだ。

故宮

故宮の入場料は55元。日本語で解説してくれるテープレコーダーも30元で借りたので、合計85元。中国に入ってから一番の出費だ。

中国の観光地は、ほとんどのところで中国人料金とは別に、外国人料金が設定されている。

85元なのは、もちろん外国人料金だからだ。

故宮はとてもでかい。端からは端でなく歩いてみたが、さすがに疲れた。

昔の中国の皇帝の絶対的偉大さは確かにうかがえた。中国では今も昔も国を象徴するものにはとことんお金をかける。それは日本のかけ方とはやはり違う。

解説してくれるテープレコーダーを借りたので、造りの細かさが分かり、さらに実感した。

例えばすべて木造建築であったり、大理石は1枚ものを使っていたり、天井には無数の龍や鳳が描かれている。ひさしには雌鳥に乗った人を先頭に、天馬とか獅子とかが10匹もいる。確かにすごい。

中国のバス事情

地図をホテルに置き忘れたので、帰り道は途中で迷ってしまい、バス停に向かうはずが、いつの間にか北京駅に着いていた。

ついでなので、次の目的地である西安までの切符を買おうと思ったが、どうやら北京駅からは出ていないようだ。

北京には北京駅以外にいくつか駅がある。北京西駅、北京南駅、北京北駅。

北京西駅が一番新しいらしいのだが、規模も他の駅と比べてかなり大きかった。西安行きの列車は北京西駅からのようだ。

僕が持っている時刻表には北京駅から出ていると書かれてある。おそらく煙台の駅の売店で、古い時刻表をつかまされたのだろう。昔の時刻表を倍の値段で売りつけようとしていたのだ。恐るべし。

地下鉄に乗り、前門では降りずに、和平門で降りた。そこから14番のバスに乗りさえすればホテルの近くに停まるはず。

だが、僕は間違って逆方向に向かう14番のバスに乗ってしまったらしく、結局かなりの大回りになってしまい、倍のお金を払うこととなった。

バスは恐ろしいくらいに混んでいた。というより、北京では人が少ない時間はないようだ。どの時間帯も、どこにでも、たくさんの人がいる。毎日、毎時間がラッシュアワーだ。

中国のシンボル、壮大な石の壁 万里の長城を歩く

万里の長城 往路

万里の長城へ行ってきた。

日曜日は避けたかったが、タカムラさんが行くというので、一人では不安があった僕は、一緒に行くことにした。

バスは高いので列車で行くことにした。

ちなみに、中国では列車のことを「火車」と表す。バスのことを「汽車」と表す。

バスだと片道11元だが、列車だと3.5元で行けてしまう。その差は7.5、往復となると15元。この差は中国では大きい。いろんな贅沢が出来る。

ただ列車の便は少なくて、不便ではある。

北京北駅の切符売り場は7時30分から行列ができていた。時刻表で調べると、万里の長城観光の起点となる八達領駅は8時10分発だった。

窓口は閉まっていたりして、僕たちは不安だった。念の為、僕たちの後ろに並んでいる中国人の若い夫婦に訊ねると、彼らも長城へ行くというので、少し安心した。

8時過ぎになってようやく切符を手に入れることができた。

『79次八達領』の切符を買ったはずだが、渡された切符には『75次青龍橋』になっていた。訳が分からなかったが、後ろの若夫婦も同じ切符のようなので、ついていくことにした。

列車は8時30分に出発した。

列車は自転車を少し強めに走らせたくらいのスピードで、2時間走った。

途中、車窓から長城が見え、僕は世界的に有名な人造物に少なからず興奮した。

どこまでも続く石の

駅に着き、15分ほど歩くと、日本の観光地とは全く同じようなお土産物売場が道の両脇に並ぶ。その通りを抜けると、長城の入口になる。

長城の入場料は、外国人30元、中国人15元。

長城は人がいっぱいだった。僕たちは2つに別れた道をひたすら右に進んだ。さすがに規模は普通ではない。匈奴の侵入を防ぐためにしては、いささか大げさ過ぎる気もしたが、これが中国人のやり方なんだろう。やることが豪快とも言える。

今の時期はシーズンオフだと聞いていたが、長城には国際色豊かな観光客が多く来ていて、せっかくバカでかい長城に来ているのに、人混み身動きがとりにくかった。

長城はどこまでも続く。世界的にもすごく大きいものなんだろうけど、人が観光でちょっと寄った程度では、その大きさの本当の価値を肌で感じることは難しい。数千キロに及ぶと聞いたが、できすぎるということだ。果てしなく続く長城を見て、その先の光景は想像するしかない。歩いて到達できるレベルではない。

ロープウェイの駅を過ぎると、人は極端に少なくなった。

僕たちは来た道を引き返すのもアホらしい気がして、さらに進み、ショートカットして戻ることにした。

ふと動物園のようなところに着いた。しかし全然人の姿もない。

なぜか熊ばかりが100頭近くいる。一種類だけではく、5〜6種類はいたのではないだろうか。

寒そうにして、なんだかみすぼらしく、かわいそうに思えた。

熊の手を食べるために飼っているんじゃないだろうか。

そう思えるほど、人がいないところにたくさんの熊がいるのは異様だった。

一般道に出て、振り返って見ると『八達領熊楽園』と書かれた看板がかけられていた。

万里の長城 復路

13時半ごろ、帰りの駅へ向かうが、行きとは異なり、駅にいるのは僕たちだけだった。なぜだか分からなかったが、他の人たちは皆バスで帰るようだ。

それは駅に着いて謎が解けた。次の便は15時までないのだ。

1時間以上も待つことになる。

北京自然博物館ふたたび

再訪

北京自然科学博物館へ再び訪れた。

人間のコーナーがもう一つ存在することを知らずに、前回退館してしまった。それはどうやらメイン展示という話らしい。

僕は真っ先に3階にあるそのコーナーへ行った。

入口にあるものからすごかった。

子供の顔が真っ二つに切断され、その断面図から機能が紹介されている。

中年の男の全体もホルマリンに漬けられ、血管や心臓機能などが分かるようにされている。一体何人の死体を使用しているのか。

女性の性機能も丸々一体ホルマリンに漬けられていたし、胎児のホルマリン漬けは、1ヶ月目から10ヶ月まであった。

僕は感心したものの、見慣れない実現に気分が悪くなりそうだった。

博物館へ来る前に、吉野家の北京店へ行って、牛丼を食べたのだが、それをもどしたくなるような気分だった。でも僕はガラス越しにホルマリン漬けにされたものを見ただけだけど、医者になる人、なった人は、実物を生で触り、解剖し、それで人の命を救うのだから、素直に尊敬してしまう。

世界中どこを探しても、こんな博物館はないらしい。ミイラの博物館はあるらしいのだが、ミイラは人間らしくないという。

ホルマリン漬けの人体があるコーナーの係の人は、その人体の前で弁当を食べていた。さすがである。

ホームレス

北京には乞食が多くいた。乞食については考えさせられる。日本でもホームレスよく見かけるが、乞食のような物乞いはあまりしていない。

だが、中国ではホームレスというより乞食なのだ。

地下鉄に乗っていると、指のないおじさんが一人ひとりにお金をせがみにきた。

地下道では足のないおじさんや、腕のないおばさんがあちこちにいた。

一番困ったのは子供の乞食だ。必死にまとわりついて離れない。服をつかみ、足にしがみつき、泣きそうな声を出す。その後ろにはだいたい親がいる。子供を使うことに怒りを感じる。

さっきも子供の乞食にせがまれ、根負けして1元渡すと、それを見た母親が自分にもくれと寄ってくる。どんな事情があるのか僕には分からない。しかし、他に方法はないのかと怒鳴りたくなる。怒鳴りたくなるが、中国の実態がよく分からないから、もどかしい。

歌を歌う身体障害者はカバンいっぱいにお金を稼いでいた。笛があまりうまくない盲目の男は、それでもそれなりのお金をもらっていた。

乞食をしなくてはいけないとしても、ただ拝むだけじゃなく、何かしらの努力が必要なのではないかと思った。

幻の動物四不象を求めて北京動物園へ

北京動物園

北京は広く、人が多く、とても疲れる街である。

今日は本当に寒い一日だった。風が強く、土埃が舞い、こんな日は出歩くことなく、部屋で一日、本を読んでおけばよかったのだが、僕は動物園に出かけてしまった。

せっかく動物園に行ったのに、寒いがゆえに、ほとんど歩を緩めず、通り過ぎた。パンダも寒くて丸まっていた。室内にも3頭いたが、野外に放り出されているパンダもいた。

日本なら、すごく大切に大切に、過保護なくらいに育てられているのに、中国では厳しく飼われている。

動物の種類が多く、敷地も広いのだが、どれもこれも淋しげだった。

シロクマも汚くて、みすぼらしかった。

僕は「四不象」という野生では絶滅した動物を見たかったのだけど、結局見つけることができなかった。

鹿の一種だと聞いていたので、鹿のエリアを何度も往復したのだが、分からなかった。飼育員らしい人に「四不象」と書いた紙を見せてみるが、何人に訊ねても、分からなかった。

今思うと、動物名のところに「四不象」と書かれているのではなかったのかもしれない。飼育員の何人かが示した鹿のエリアには「四不象」と書かれていなかったので、違うと思って、ほかをさがしたが、あれが四不象だったのかもしれない。もう二度と来ることがないだけに、残念なことをした。

北京のレストラン

北京西駅に行き、西安行きの切符を買った。煙台→北京の時と同じ17時間かかるのに、西安行きは149元とかなり高かった。この違いは何なのか。直快と特快の違いが大きいのか。

27日と28日のどちらに北京を発つか迷ったが、ホテルの部屋が薄暗く、ルームメイトの白人たちもとっつきにくいので、早めに出ることにした。だから、今日が北京最後の夜になる。

最後に北京ダックを食べたかったのだけど、一緒に食べる仲間が見つからず、結局毎日通っているレストランに行くことになった。

このホテルの前にあるレストランは、1日行かなかっただけだ。レストランというより、こじんまりした食堂のような店だが、安くて、うまくて、居心地がいい店だった。

雑多な街・北京出ていく

朝9時30分にチェックアウトして、隣にあるマクドナルドで日記や手紙を書いた。

でもあまりに早くチェックアウトしすぎたようで、列車が出発する18時までの時間を持て余した。マクドナルドにずっといるわけにもいかず、かといってホテルにも戻れない。

仕方なく、北京西駅へ少し早めに行くことにした。

14番のバスで和平門まで行き、そこから地下鉄で復興門まで乗り、さらに52番のバスで北京西駅に到着する予定だ。しかし、いざバス停に行ってみると、40番なら北京西駅まで直通で行けるという情報が手に入った。

ただし、40番のバスは16時20分まで便がない。

市バス一本で行ける容易さと、安さの誘惑に負け、僕は夕方まで待つことを選択した。

今日は風こそ強くないが、昨日に負けず劣らず、とても寒かった。

僕は昨日まで歩き回った北京の街を最後にまた歩いた。もう目新しいものには出会わなかった。

スケッチ〜北京の印象〜

北京は雑踏の街だ。とてもごみごみしていて、歩くだけで疲れてしまう。
朝空が白み始める前から、夜の闇に再び包まれてしまうまで、人と車と自転車が死闘を続けている。北京を歩くということは、間違いなくその死闘に参加することを意味する。
ただその死闘を楽しむことも可能だ。
リキシャ群の中を縫うようにすり抜け、クラクションを目いっぱい鳴らすタクシーの前を悠々と横切り、横で歩いているおっさんが吐いた痰を風の向きを計算しながらかわす。
たどり着いたバス停ではバスを待つ間焼き芋をほおばる。
バスには満員で乗れなくなる前に、ダッシュで乗り込み、足の位置を1cmも動かすことが出来ない状態で、20分揺られる。
地下鉄の駅に着くと、激流に流される木の葉のごとく、人の波にのまれバスから降りる。
中国人たちは大きな声で怒鳴り、笑う。日本人だと分かると、皆好奇心が一気にふくらみ、意味の分からぬ中国語をまくしたててくる。
寒くて乾燥しきった街にはほこりが舞う。北京は雑踏とほこりの街だ。

  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA



reCaptcha の認証期間が終了しました。ページを再読み込みしてください。

目次