VOL.30 1996年12月2日 西安
陝西省歴史博物館での両替を巡る攻防
陝西省歴史博物館というところへ行った。内容が充実していて、いい博物館だと聞いていた。
確かに立派な建物で、内容も充実しているのだろうけど、僕の興味の対象ではなかった。
初めはしっかりと見ていたのだが、1展から6展のセクションがあるにもかかわらず、僕は2展目から集中力がなくなっていた。
7万年前の人間の作った土器や石器などを見ても、僕には興味が沸かなかった。一緒に行った勝利飯店の同居人は、熱心に中国語の解説を読みながら、ゆっくりと進んでいるのに、僕は時々立ち止まって変わったものを見つめる程度で、そのほとんどを飛ばすように進んだ。
一通り見て、ソファの置いてあるところで休憩していると、英語を話す怪しげな中国人が話しかけてきた。
面倒くさかったので、素っ気なく返事をしていたが、それでもしつこく質問をしてきた。
日本での給料はいくらだ、と聞いてくるので、適当に10万円だと答えると、「チープ」と半分笑われた。
どうやら拝金主義の中国人らしく、話は金のことばかりだった。
まだ26歳だというのに、給料が4,000元もあるという。日本円にすると5万円ちょっとなのだが、中国人にしてみれば、かなりの高給取りである。日本の感覚では100万円くらいの月収をもらっているようなものだ。
会話の中で、韓国ウォンを両替できるところは知らないかと訊ねた。韓国で使いきれなかったウォンが、まだ財布の中に残っている。
すると、26歳の拝金主義は、俺が両替してやる、という。
余っていた韓国ウォンは1万7,000ウォンあったので、今のレートだと176元くらいにはなるはずだ。なのに、拝金主義野郎は130元で替えてやるという。
話にならない。僕のことを何も知らないボンボン旅行者と思っているようだ。電卓を持ち出して、きっちり説明して、176元のところを170元まで下げてやるぞ、と伝えると、奴は150元だと粘る。
韓国のウォンは、昔の日本円と同じで、まだまだ国際的に弱く、中国では両替できる公の期間は存在しない。
僕はそういう弱みもあるので、160元まで下げることにした。これでさすがの拝金主義も納得するだろう。
しかし、奴は迷いながらも、なかなか首を縦に振らなかった。あくまでも150元でなんとか通そうと必死だった。
僕は僕で、使えない韓国ウォンを早く手放したかったが、それは顔には出さず、素っ気ない態度で対応した。拝金主義は、そこをなんとか、と言わんばかりに、あれこれ口数多く、150元で替えてやると言い続けていた。
「160元しかあかん」
日本語が通じるわけもないだろうが、日本語でそう言って、立ち上がって、その場を去ろうとした。どうせすぐに止めてくるだろう、そして悪かった、160元で替えさせてくれ、とお願いしてくるだろうと思っていたが、奴はポカンとしたまま動かない。
僕が立ち止まらずに出口に向かうと、結局拝金主義は黙ったまま、僕を見送った。物欲しそうな目をしたまま。
韓国に行く予定はこの先もない。もったいないけど、韓国の札を記念にとっておくことに決めた。
中国のタクシーに乗ってみるとジェットコースターよりも怖かった
夕方、勝利飯店に宿泊している日本人6人で、焼肉の食べ放題に行こうということになった。38元だという。
一昨日も昨日も宴だったので、さすがに3日連続は贅沢し過ぎな感じはしたが、ここはまた得意の「日本円ならいくら」という考えを持ち出すことにした。
6人のうち、3人が外出する予定があったので、18時に焼肉屋の前で待ち合わせすることになった。
僕たち3人は一緒に宿を出たが、少し遅れそうだったので、タクシーを使うことにした。
3人とも、中国でのタクシーは初めてだった。
普段何気なく歩いたり、バスに乗ったりしていた道は、実は一方通行が多く、タクシーは大きく回り道をしなければならなかった。
すでに約束の時間を20分経過していたので、運転手に、とにかく急いでくれ、とお願いすると、運転手はどんどんスピードを上げてくれた。
渋滞している車と車の間を縫うように、他の車を追い越して行った。交通ルールやマナーが恐ろしく欠如した運転に、僕たちはジェットコースターを思った。
僕たち3人の中に、中国語を話せる留学生がいたのだが、「運転がうまいですね」と褒めてみると、運転手は実にうれしそうな顔で、得意げになり、さらにスピードを上げた。
右折するときに歩行者や自転車がいるのに、突っ込んで行く。何度も当たりそうになり、僕たちはやがて悲鳴をあげていた。
運転手は僕たちの悲鳴が歓声だと勘違いしたのか、またうれしそうにスピードを上げた。
西安最後の食事は焼肉食べ放題 そして僕は次の町へ向かう
焼肉は、牛、羊、豚、鳥はもちろん、蛙まであった。白飯やピラフ、さらにフルーツやアイスクリームまでが食べ放題だった。ジュースも飲み放題。
昨日のギョウザも満足だったが、それ以上だった。
西安最後の食事は、大満足だった。
焼肉屋を出ると、僕はみんなに別れを告げて、そのまま西安駅に向かい、昆明行きの列車に乗った。
切符は硬座だと思って買ったはずだったが、「硬臥」だった。つまり寝台車両で寝られるということだ。
寝台車は自分のスペースがきっちり守られていて、安心感がある。6つのベッドが一角のスペースとなっている。
硬臥は一つだけ難点がある。
湯が飲み放題というわけではないのだ。硬座のときは、勝手に汲みに行けば、お湯は飲み放題だったが、硬臥のスペースでは一角のポットが1つしかない。つまり6人で1つのポットを分けて使うことになる。
一人がカップラーメンを食べだした。ポットのお湯は一気に半分くらいなくなった。そして3人がお茶を飲むためお湯を自分のコップに注ぐと、もうなくなった。
僕はお茶がない旅を強いられることになった。
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