VOL.28 1996年11月30日 西安
兵馬俑坑で紀元前にタイムスリップ
西安駅へ切符を買いに行った。西安駅の2階には外国人専用窓口がある。
だけども、翌日からの切符しか売っていないようで、断られた。「メイヨー」(ないとうい意味)と。
昨日は切符発売所で、「ここじゃなくて駅に行け」と言われたが、実際駅に来ても、売ってないという。ますます中国は訳が分からない。
西安では楽しみにしていた兵馬俑坑に行ってみた。
切符は人民料金(中国人料金)で30元、外人料金(外国人料金)で90元だった。中国人のふりをして、30元だけ払って切符を買ってみたが、入口のところで止められた。
どうやら留学生の証明書である学生証か人民証のようなものが必要なようで、60元追加で払わされた。
兵馬俑坑のことを英語では「テレコッタ・ウォーリアーズ」という。ソウルで一緒だった、ベルギー人のルーが言っていた。
「テレコッタ」を辞書で調べると、「はにわ」と訳していた。だから僕は、小さなはにわの兵士がたくさんあるのだなと思っていたが、実物の「テレコッタ・ウォーリアーズ」は大きくて、馬は小さめに作られてあった。兵士は実物大のようだ。
秦の始皇帝はB.C.200年くらいの人物である。その始皇帝の墓のまわりから、2000年以上ものときを経て発見されたのだから、すごい話である。
兵馬俑は丸太で屋根を作り、その上にムシロを被せ、さらにその上10メートルもの高さに土をかけられていたが、2000年もの月日が経つ間にボロボロにくずれてしまっていた。
そのくずれた首や足や腕のかけらを土と分けながら、一つひとつパズルのようにして復元させる訳だから、気の遠くなる話だが。
兵馬俑の発見はものすごいことなのだが、当時の漢の人たちは、せっかく発見したにもかかわらず、大したものとは思わず、人形ごと穴を掘って、井戸にしてしまった。また最近でも兵馬俑が埋もれているとは知らずにお墓にしてしまったようなこともあったようだ。
土産物屋の商売根性
兵馬俑の門の外にある土産物屋たちの商売根性はすごいものがあった。
薄汚い毛皮を売っているおじさんもしつこかったし、絵はがき売りも感心するくらいにしつこかった。断れば断るほど、値段を下げてくる。
きつねの襟巻きは280元から50元まで値下がりしたし、絵はがきも10元から6元まで下がった。
僕はしつこさに根負けして、絵はがきを買った。だが、それを見て別の絵はがき売りが押し寄せてくる。買ったばかりなのでいらないと何度言っても引く様子がない。紙とペンまで用意して、いくらなら買うか書け、と言ってくる。
数字と「安い」という日本語だけは知っているようなので、どうやら日本人は一番のかもになっているのだろう。
兵馬俑坑で偶然知り合った日本人留学生の2人組は、僕と同じ勝利飯店に泊まっているという。そして驚いたことに、昨日から同じ部屋の同居人となった日本人のことを知っているという。タイで知り合ったのだそうだ。
夜はみんなで一緒に食事をしようということになった。
夕食は、日本人ばかり5人で食べることになった。僕の部屋の同居人と、兵馬俑坑で知り合った日本人2人組の同居人と、計5人。
砂鍋というものを食べた。いろんな野菜が入った鍋に、米飯をぶっ込み、雑炊のようにして食べる。野菜もたっぷり摂れて、栄養にもいいのではないだろうか。しかもうまかった。
中国のご飯は、安くても、基本はなんでもおいしかった。
僕以外の4人は、皆それぞれに旅の経験が豊富だった。中国だけでなく、他のアジアの国の知識にも富んでいて、僕はもっぱら質問する専門になった。
会話は盛り上がり、2次会にも行くことになった。
2次回では、屋台でシシカバブーをつまみにしてビールを飲んだ。シシカバブーは2角で、ビールは大ビンで3元。とにかく安い。
ホテルに帰ってテレビをつけると、ロバート・デ・ニーロの「ミッドナイト・ラン」をやっていた。中国はテレビだけを見ていると、社会主義という感じはしない。コマーシャルも日本のものとよく似ていた。
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