VOL.26 1996年11月28日 西安
北京から西安までの列車の旅
列車の狭い座席で17時間半揺られ、僕は西安に着いた。
列車の中には軍人がたくさんいた。軍人グループに席を代わってくれと頼まれて、別の軍人のグループの席へ移った。
近くには鉄道員もいて、僕が日本人だと分かると、珍しそうに皆、僕のまわりに集まってきた。口頭で質問されてもさっぱりわからないので、ノートを取り出して書かせてみた。
筆談で外国人と会話が出来るのが面白いらしく、どんどん書いて質問された。
中国人が必ずする質問がある。それは仕事ではなく、単なる観光で旅行していることを伝えたときに、
「じゃあお前は学生か?」
という質問。
「違う」
と答えると、彼らは曖昧にうなずき、理解していなような顔になる。
中国では意外にも貧富の差は激しく、街でボロボロの自転車の自転車の群れを大きなベンツが追い越していく場面は、普通の風景になっている。
中国人全員が貧しいわけではないが、その大部分が確実に貧しくて、彼らにしてみれば、学生でもない男がなぜ仕事もせずに遊んでいるのか、常識の中ではかんがえられないことなのだろう。
だから僕は世界中を旅したいなどとは言わず、中国を一ヶ月ほど旅行して、日本に帰って仕事をするのだ、と答えることにしている。
正直に全てを話すことが彼らに申し訳ないような気がしたのだ。
彼らはさらに質問を重ねる。
「給料はいくらくらいもらっているのか?」
僕が日本で仕事をしていたときは、営業の仕事をしていて、それなりに頑張っていたので、20代にしては日本でも多めにもらっていたと思う。なので、その半分くらいの金額を伝えてみた。
それでも彼らは、なんとも言えない顔で、ため息をついた。
逆に僕からも彼らの給料を訊ねてみた。30歳くらいの鉄道員は「500元だ」と答えた。日本円だと7千円程度になるだろう。21歳だという軍服を着た青年は50元しかもらってないという。
彼らには申し訳ないが、僕は日本に生まれてよかったと思った。
今夜の宿は勝利飯店
西安に着いて、駅を出ると、ホテルの客引きが何人も声をかけてくる。しかもかなりしつこい。バックパックを背負っているのが他にいなかったからだろうか。
客引きのおばちゃんも、おっちゃんも、34元だと言っていた。だがこの客引きたちに連れて行ってもらうと、手数料を取られると思って、一人で今夜の宿である勝利飯店に向かったのだが、結局34元だった。
それなら、客引きに協力してあげればよかったと、少しだけ思った。
部屋は明るく、テレビもあるが、ヒーターが効いていないので、寒い。外の気温は北京に比べると暖かいくらいだが、ヒーターがないと、寒い。
勝利飯店には電話がなかった。
日本に電話するために郵便局に行ったが、コールする前に電話が切れた。故障したのかと思って受付のおばちゃんに言いに行くと、なにやら中国語でえらい怒鳴られた。
なぜそんなに怒鳴るのか、理由を知りたかったが、後から後からどんどん客が来て、それどころではなくなって、押し返されるように郵便局を追い出された。
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