VOL.23 1996年11月25日 北京
再び北京自然科学博物館へ
北京自然科学博物館へ再び訪れた。
人間のコーナーがもう一つ存在することを知らずに、前回退館してしまった。それはどうやらメイン展示という話らしい。
僕は真っ先に3階にあるそのコーナーへ行った。
入口にあるものからすごかった。
子供の顔が真っ二つに切断され、その断面図から機能が紹介されている。
中年の男の全体もホルマリンに漬けられ、血管や心臓機能などが分かるようにされている。一体何人の死体を使用しているのか。
女性の性機能も丸々一体ホルマリンに漬けられていたし、胎児のホルマリン漬けは、1ヶ月目から10ヶ月まであった。
僕は感心したものの、見慣れない実現に気分が悪くなりそうだった。
博物館へ来る前に、吉野家の北京店へ行って、牛丼を食べたのだが、それをもどしたくなるような気分だった。でも僕はガラス越しにホルマリン漬けにされたものを見ただけだけど、医者になる人、なった人は、実物を生で触り、解剖し、それで人の命を救うのだから、素直に尊敬してしまう。
世界中どこを探しても、こんな博物館はないらしい。ミイラの博物館はあるらしいのだが、ミイラは人間らしくないという。
ホルマリン漬けの人体があるコーナーの係の人は、その人体の前で弁当を食べていた。さすがである。
ホームレス
北京には乞食が多くいた。乞食については考えさせられる。日本でもホームレスよく見かけるが、乞食のような物乞いはあまりしていない。
だが、中国ではホームレスというより乞食なのだ。
地下鉄に乗っていると、指のないおじさんが一人ひとりにお金をせがみにきた。
地下道では足のないおじさんや、腕のないおばさんがあちこちにいた。
一番困ったのは子供の乞食だ。必死にまとわりついて離れない。服をつかみ、足にしがみつき、泣きそうな声を出す。その後ろにはだいたい親がいる。子供を使うことに怒りを感じる。
さっきも子供の乞食にせがまれ、根負けして1元渡すと、それを見た母親が自分にもくれと寄ってくる。どんな事情があるのか僕には分からない。しかし、他に方法はないのかと怒鳴りたくなる。怒鳴りたくなるが、中国の実態がよく分からないから、もどかしい。
歌を歌う身体障害者はカバンいっぱいにお金を稼いでいた。笛があまりうまくない盲目の男は、それでもそれなりのお金をもらっていた。
乞食をしなくてはいけないとしても、ただ拝むだけじゃなく、何かしらの努力が必要なのではないかと思った。
今日の家計簿
- 吉野家の牛丼(並盛) 10.8元
- 魔法瓶 163元
- ポークヌードル+野菜と卵の炒め物+ビール 16.5元
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