VOL.19 首都・北京
1996年11月21日 北京
北京までの17時間の列車の旅
煙台から北京の列車の旅は17時間におよんだ。
僕は運良く窓際の席だったので、壁にもたれてなんとか眠ることはできたが、それでもさすがに疲れた。
あれがバスだともっときつかったのではないだろうか。
僕の前には中国人の中年夫婦が座っていた。中年のくせにいちゃいちゃと仲が良い。それは見ていて、決して気持ちのいいものではなく、僕には腹立たしさを感じた。断じてやきもちの類ではない。女はともかく、男は本当に気に入らなかった。
とにかく、気配りに欠けた。
僕が時刻表を自分の席の前のテーブルに置いていると、いつの間にか、その男ーおっさんーが手にとって見ていた。もちろん僕になんの断りもなく。会釈すらしない。そしてしばらく見て飽きたら、テーブルの上に放り投げた。
怒りというより、開いた口が塞がらなかった。これが世に言われる、中華思想たるものだろうか。
うわさに違わず、中国人はマナーというものがない。
平気で床にゴミを捨てる。つばも痰も吐く。椅子の上に土足で足を置いて、大声でしゃべる。
中国人の生活がにじみ出ていて、興味深くはあるが、正直なところ、一緒に暮らすことはごめんだ。
もっと驚いたのは、カップラーメンでも、ペットボトルでも、ゴミ袋でも、なんでも平気で、堂々と、窓の外へ放り投げるのだ。
服務員が2時間おきくらいに床を掃除しに来るが、その度に大量のゴミを収集することになる。
客のマナーは皆無だが、服務員のしつけは行き届いていた。⋯⋯と一瞬思ったが、それも間違っていた。
服務員も集めたゴミを車外へ捨てていたのだ。
どいつも、こいつも、ひどい見識を持っている。
北京での宿探し
北京駅に着いたが、とにかく宿を探さなければ、安心できない。ここで頼りになったのは、ソウルの宿で一緒だった、ルーから教えてもらった宿だった。
地下鉄に乗るにもたくさんの人に訊ねることとなった。身振り手振り、紙とボールペン、「6カ国語会話」と、ありとあらゆる手段を使って、なんとか17番のバスに乗ることができた。
教えてもらった場所でバスを降りたものの、手がかりは宿の名前だけだ。10人以上の人に訊ねて、ようやくたどり着いた。
まさかの出会い
ぼったくられないか、という不安はあったが、ルーから聞いていたとおり、28元だった。日本人も何人か宿泊しているようだ。
僕はとても安心した。チェックインしてから、日本人の一人で会話を交わし、その流れで、晩ごはんを一緒に食べることになった。
いろいろ話をしていて驚いた。なんと釜山で出会ったヨシダさんの知り合いのタカムラさんだった。タカムラさんのことは、ヨシダさんから聞いていて、ソウルから中国の旅の途中という。僕のルートと被るから、もしかしたら、どこかで会うかもね、と言われていた。
こんな広い国で、そんなことあるかいな、と思っていたが、バックパッカーのルートなど、似たりよったりなのだ。
昨日、煙台では電話がつながらなかったので、宿の電話を借りようとしたが、コレクトコールでないとダメだという。電話局に行けばいい、と言われ、30分以上も歩いたが、結局見つからず、宿に戻って、コレクトコールでかけさせてもらった。
北京は中国の首都のはず。なのに、この電話事情⋯⋯。この先が思いやられる。
今日の家計簿
- 羊の串焼き 1.5元
- ゆで卵 1元
- 市バス (人+荷物) 0.5+0.5=1元
- ごはんとおかず 9元
- ドミトリー 28元
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