VOL.18 中国入国
1996年11月20日 威海・煙台
これが中国!
中国に着いた。威海というところらしい。
日本でも、韓国でもない、中国だ。かつて感じたことがない独特の興奮だ。
中国への入国は意外にすんなりと進んだ。
港の建物の出国には、人人人。誰か大物の有名人でもやってくるのかというような人だかり。
人だかりをくぐり抜け、中国でしゃべりかけてくるおっさんを振り切り、僕は通りへ出た。人も車も秩序がない。これは韓国よりもかなりひどいものだが、そのひどさが中途半端ではないから、僕は辟易するのを通り越して、見たこともない無秩序がうれしいくらいだった。
車はクラクションを鳴らしまくって歩行者の中を突っ込むように通っていくほど無秩序。歩行者は歩行者で車を避けながらも、立ち止まることなく道をふさぐほど無秩序。車も歩行者も一歩も譲らぬ無秩序。
コントを見ているようで笑ってしまう。
両替をしたいのだけど……
両替する必要があり、銀行を探したが、なかなか見つからない。すると、いつの間にか中国人にまわりを囲まれていた。びっくりしたが、顔を見ると敵意はなさそうだ。バックパッカー姿なので外国人だと認識して、興味津々なのだろうか。
その中のひとりのおじさんが話しかけてくる。完全な中国語でまくしたてるので、何を言っているのかさっぱり分からない。
僕は、マネーとかチェンジとか、簡単な英語で両替をした旨を伝えたが、彼らは中国語をまくしたてるばかりで、会話がまったく成立しない。
僕は仕方なく、筆談に変えた。紙に「外貨両替」と書いて、見せた。
しかし、その文字を見ても、まわりの中国人は誰も意味を理解せず、眉をひそめ、首をかしげる。
中国は英語が通じなくても、漢字で会話ができると思い込んでいたので、衝撃だった。
僕はバックパックから「6カ国語会話」という本を持ち出して、両替のページを開いた。そこには「換銭」とある。両替は完全に日本語で、中国ではまったく通用しないことを知った。
「換銭」でようやく意味が通じ、銀行の場所を教えてくれた。教えてくれるだけでなく、そのほとんどの人が一緒に銀行までついて来てくれた。有名人になったような気分だ。
銀行に入り、100USドルを中国元に替えてもらった。余った韓国ウォンも両替したかったが、できないと断られた。
銀行から出てくると、今度はまた別の中国人に話しかけられて、同じように人だかりになった。
また6カ国語会話を持ち出し、ミニバス乗り場を案内してもらうことになった。
中国人は質問すると、暇であれば、努力してなんとか応えようとしてくれる。警戒していたが、悪い人ではない。
煙台へ
ミニバス乗り場から煙台行きのバスに乗った。
バスは乗車賃は12元。バスの中ではおばちゃんとふとんをたんまり積み込んだ男とが、ずっと大声で口論している。他の連中はその大声が全然気にならないのか、珍しそうに見ているのは僕一人だけだった。これが中国の日常なのだろうか。
さて煙台までは来れた。煙台という地名は地球の歩き方に小さく載っていたため、とりあえずは来てみたが、情報の頼りは地球の歩き方のみだ。
バスから落ちると、地図が描かれた観光パンフレットのようなものを持ったおばちゃんが寄ってきた。
パンフレットを僕に当然のように渡すので、「謝謝」と言って立ち去ろうとすると、おばちゃんは慌ててパンフレットの一か所を指さした。
そこには3元と書かれていた。
なんのことはない、有料なのだ。
僕はいらない、と言って、手を振って立ち去った。
おばちゃんは2.5元にまける、というようなことを言ったが、それでも僕が拒絶すると、怒鳴り始めた。中国語なので何を言っているのか分からないものの、「なんでこんな安いものも買わないんだ!」と言っているのだろう。
なるほど。感じたことをそのまま出し惜しみすることなく、表現するスタイルの国民のようだ。
「は?」
駅らしきところに行ってみたが、線路のようなものもなく、何が、いつ、どこから、どう走っているのか、把握できなかった。
駅員らしき女性が何人もいたので、何人かに訊ねてみたが、全く英語は通じず、中国語で「は?」と言われることが続いて、心が折れた。
途方に暮れて、一旦煙台で泊まって、じっくり考えてみることにした。
「地球の歩き方」に載っている安宿を頼りに、30分ほど歩いたが、それが宿なのかどうかも不確かなまま、その「山海賓館」を追い出された。泊まりたいんだ、というのを必死に伝えようとするも、「は?」で終わる。
言葉の壁もあるようなのだが、こちらの状況に一切耳を貸そうとしない人たちにも困り果てた。
煙台駅に戻り、近くのラーメン屋でラーメンを食べた。日本人が珍しいようで、店員や客が僕のところに寄ってきては、何かを話しかけてくるのだが、誰とも言葉が通じず、全く会話にならなかった。
しかし、久しぶりのラーメンはおいしかった。すじ肉と菊菜少し入っているだけの素朴なラーメンだった。
再度駅に行き、インフォメーションらしきところを見つけた。駅員らしき女性に地図を広げて、北京を指して、ここへ行きたいと身振り手振りで訴えた。
駅員らしき女性は、「は?」と愛想がなかったが、近くを通りかかった男性が、少し英語を理解した。その彼が通訳の役割をしてくれて、北京行きの「直快」が今夜22時30分に出発するという。
それを聞いて、すぐに切符を買いに行った。宿も追い返されて、泊まる場所にも困っていたから、煙台は素通りで仕方なしだ。そもそも単なる経由地であって、他の目的はない。
切符売りのおじさんは、ウンともスンとも言わない。北京と行っても、別に動く様子も見せない。
どうなっているのが、この国は。
切符をくれと手を出すと、おじさんは、お前が先に出せ、というように、同じく手を出してきた。
料金が分からないし、それを英語で伝えても無反応だし、最後の手段である筆談を試みる。しかし「いくら?」っていうのを漢字でどう書けばいいのか分からない。苦肉の策で「◯元?」と書いて見ると、面倒くさそうに、「66.00」と書いてくれた。
バスが130元と書かれていたので、列車だとその半額になる。安い。この値段設定は何なのだろうか。
僕は中国元を支払い、切符を手に入れた。座席は「軟座」と「硬座」の2種類あり、「軟座」の方が高級となっている。貧乏旅行の僕は当然「硬座」である。
中国式トイレ
駅ではうわさの中国トイレを初体験した。一応小用である。
駅の公衆トイレであっても有料で、2角支払った。
大用はうわさ通り、溝が一本通っているものだった。ちらっと見ただけなので、溝の中までは見えなかった。扉は一応ついていたが、下半分は丸見えなので、おっさんたちが溝をまたいでしゃがんでいる姿は丸見えだ。
いつかこのトイレで大用をしなくてはならないときが来るのが怖いと思った。
待合室は暖房がなく、寒い。その代わり、大きな樽が隅の方に置いてあって、湯は無料である。時々ポットを持った駅員が、回ってくる。駅員はなぜか歌を歌う。それもカラオケを用意して、歌うのだ。二人でラップのかけ合いのようなこともする。よく分からなかったが、サービスの一貫なのだろうか。
本当はおいくら?
駅の売店で「全国鉄道時刻表」を買った。「地球の歩き方」には5元で売っていると書いてあったが、売店のおじさんは10元だと言った。
払うには払ったものの、どうもうさんくさい。本の裏表紙を見ると、「伍元」と書いてある。
僕は売店に戻り、本の裏表紙を見せて、返せと迫ると、おじさんは10元だと言って聞かない。
僕は猛烈に腹が立って、日本語で「なんで?」「なんで?」と言って、出した手を引っ込めなかった。しばらくしかとしていたおじさんも根負けしたようで、悔しそうにお釣りの5元を放り投げた。
5元は日本円では70円程度だ。日本人の僕にとっては、70円足らずの小さなお金だが、このようなぼったくりが当たり前になっているのがすごく嫌だった。
夕方も17時を過ぎると待合室に弁当屋が現れた。弁当と言っても、ごはんの上にじゃがいもの煮たものとか、豚の骨を煮たのとかをぶっかけただけの簡単なものである。腹も減っていたので、1つもらって、食べてみたが、とてもおいしかった。別に凝った料理でもないだろうが、いい味加減で、日本で食べる家庭の味にも近しい。
ただ気になるのはやはりお金だ。5元払ったがお釣りは返ってこなかった。ということは、お弁当代は5元なのだろうけど、さっきの売店のおじさんの例もあり、正規の値段なのか、ぼったくられているのか、判断がつかない。
この調子だと、毎回同じような気持ちになりそうだ。
中国の電話事情
列車が出るまで時間に余裕がたっぷりあるため、日本に電話することにした。
中国ではまだ一般家庭の電話の普及が行き届いてないため、公衆電話も日本のようなコインを入れてかけるものは、北京や上海のような都会に行かなければない。
ここ煙台でもそうであるが、ほとんどの地区は店の電話を借りることになる。そして係の人が時間を測って、後でお金を請求される。
しかも原因は分からないが、つながらないことも少なくない。少し大きめのホテルの電話を使わせてもらうと、少し違うようだが、それでもつながらない。
言葉も人も電話も、何もかもが日本とは違い、実におもしろいと思った。
今日の家計簿
- ミニバス(威海→煙台) 12元
- ラーメン 3.5元
- トイレ 2角
- 鉄道時刻表 5元
- ぶっかけ弁当 5元
- 列車(硬座 煙台→北京) 66元
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