【韓国13】中国のビザを取得し、いよいよ韓国を経つためフェリーに乗る

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VOL.16 韓国出港

1996年11月19日

ようやく中国のビザ取得

朝、中国大使館へビザを受け取りに行った。「20」という数字が書かれていた。

お金が必要らしい。

なんのお金なのか分からないけど、それを日本語以外で確認するのは難しいし、大使館が怪しいことをするはずはないだろうと思って、払うことにした。

トラベラーズチェックで払えるか、と訊いたが、オンリーキャッシュだという。

参ったな、という顔をしていると、近くにいた日本語がものすごく上手な韓国人の老人が話しかけてきた。

「お金貸してあげましょうか」

なんと、初めて会った異国の人間にお金を貸してあげると、わざわざ申し出てくれたのだ。

韓国初日の経験からして、こんな親切な偶然はない。だけど、ここは大使館であって、詐欺みたいなことをする人が選ぶ場所ではなさそうだ。それに老人もビザを取りに来たところだという。

迷ったが、銀行がすぐとなりにあるというので、丁重にお断りをして、銀行に向かった。

韓国人にもいい人がいるという経験を最後にしたのはよかった。

隣の銀行でUSドルのキャッシュに換えてもらい、再び大使館に戻って、20USドルを支払おうとすると、韓国ウォンで20,000₩支払えという。韓国なのだから、USドルじゃないのは当然かと今更気づいた。

僕は再び銀行へ行き、50USドルを韓国ウォンに換えてもらい、三度大使館に戻り、ようやく中国のビザを得た。あとは韓国を出国するだけなのに、無駄に韓国ウォンが増えてしまったのは予定外だった。

それにしても、韓国の銀行は開店してから業務の準備を始めるので、ずいぶん待たされた。きちっとした雰囲気はちゃんとあるのに、時間にはルーズな感じがして、おかしな気分だった。

フェリー乗り場へ

テーウォン旅館に戻り、まだしばらくソウルに滞在するというルーに別れを告げて、宿を出た。

フェリー乗り場は中国人と韓国人でごった返していた。僕は地球の歩き方の中国編を何度も読み返して、間違いのないように窓口に並んだ。

並んでいる「中人」と「韓人」はどちらもきちんと並ぼうとはしない。2列に並ぶ印があるのに、3列、4列と横に膨らんで、割り込み合戦になる。

おまけに前の人との感覚をまったく空けようとしない。僕の背中には後ろの奴の体触れ、さらに押してくる感じなので、とても嫌な気分だ。

登場手続きが終わって、イミグレーション・税関の時間まで待合室にいることにした。

韓国人のセールスだか、宗教関係だか知らないが、僕のところにもいろんな人がやってきて、話しかけてきた。

日本語の話せるキリスト教のおばちゃんは中国語で書かれた本を僕に渡し、中国人の誰かに渡してと言って、1冊くれた。僕にとっては迷惑な話なのだが、とても熱心なことだと感心した。

税関・イミグレーションは、また割込合戦である。彼らは横のつながりがあり、友人知人がいると、当然のように割り込んでくる。僕は内心イライラしていたけど、これが韓中式なのだと、諦めて、気長に構えることにした。

船は1時間ばかり遅れて出発した。韓国との別れにはなんの未練もなかった。

船の乗客の中にバックパッカーを探してみたが、一人も見当たらなかった。

フェリーの大部屋

僕の2等の大部屋には中国人のグループがいた。僕はそれを見て、居心地の悪さを感じたのだが、その中の一人の若い女性が日本語を少し話せるようで、しきりに話しかけられた。

柿をむいてくれたが、なんとなく断った。次は豆乳をくれた。くれるものが微妙だ。だが豆乳は断りきれずにいただいた。

話を聞いていると、どうやら韓国の大学へ留学していたときの仲間で、久しぶりに韓国に訪れたらしい。会話を交わすと、妙に親近感が湧いてくるようで、僕は日本語を話せる彼女を通して、そのグループの人たちといつしか会話を交わしていた。

僕が世界中を旅したいと思っていることを話すと、彼らはまず最初に「お金は?」と訊いてきた。

一生懸命働いて貯金した、と伝えた。どれくらい、と訊かれたが、そこはうやむやに誤魔化した。

次の訊かれたのは「なぜ?」だった。なぜ世界中を旅したいのか、彼らには疑問らしい。

いろんな価値観が違うだろうから、説明が難しいと思った。どう答えたら理解してもらえるだろうかと悩んだが、結局は「昔からの夢だから」とだけ伝えた。

納得したのか、しないのか、彼らは「ふーん」とだけ言った。

今日の家計簿
  • 骨付きカルビ定食 10,000₩
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