VOL.9 次の目的地
ヨシダさんの帰国
神戸を出発してから1週間が経過した。まだたったの1週間。先はまだまだ長いことを実感している。
今朝早くに、ヨシダさんが日本に帰った。
昨夜実家に電話したら、就職面接を受けた企業から採用不可の通知が届いたことを知らされ、気軽に旅を満喫している場合じゃなくなったようだ。面接はよほど自信があったようで、落ち込みがひどかった。
楽しい旅が一変し、ヨシダさんは軽く挨拶だけ済ませて、そそくさとテーウィン旅館を後にした。
僕はまだ旅に慣れているわけではなく、急に不安になり、淋しくなった。また一人ぼっちになってしまった。
中国ビザ申請
10時半ごろ、僕は中国大使館に行き、ビザの申請をした。
韓国語も中国語も全くできず、英語も幼児程度の僕には、それはとても困難だった。困難なのは僕の相手をさせられた大使館の女性も同じで、英語もろくに理解できない僕にイライラし、呆れるようでもあった。しかしながら、諦めずに対応してくれ、僕はなんとか申請を済ませることができた。
ただビザを受け取れるのは1週間後という。あと1週間もここ韓国で過ごさなければならないことに、僕は悲鳴をあげたい気分になった。
昨夜遅くに、中国の天津から仁川に着いて、テーウィン旅館にやって来たベルギー人の情報によると、3日後のフェリーを逃すと、天津行きは1ヶ月後までないという。
中国のビザを受け取れるのが1週間かかるとなると、天津行きは諦めなければならない。残る航路は青島か、威海だが、その情報を電話での会話で理解できるほどの語学力は確実にないので、直接仁川に行って調べることにした。
仁川までは地下鉄で1時間だった。駅からフェリーターミナルまで歩いて15分程度。ターミナルは韓国人と中国人でいっぱいだった。日本人を探したが、それらしき旅行者は見当たらなかった。
案内所のようなところもなく、受付のところには乗客が列も作らずに押しかけていた。僕がその中に入って順番が来るのを待ったとして、急かされた状態で必要な情報を得る自信がなかった。
船会社の事務所を見つけて、そこで身振り手振りで中国に船で行きたい旨を伝えた。
時間はかかったが、得られた情報として、青島行きの船は毎週土曜日だけなので、僕が乗りたい来週の火曜日だと、威海行きしかないという。
威海ってどこかも知らない。だけど、中国のビザが発行される日に、韓国のビザが切れるのだから、この日に乗って韓国を出るしかない。
中国のビザが無事発行されるのかも不安だが、当日になって船のチケットが取れないのも不安だ。だから、とりあえず、仁川から威海の船のチケットを購入することにした。
船のチケットは80USドルだった。
家計簿
- ミート入りサンドウィッチ 1,400₩
- 仁川→威海のフェリーチケット 80US$ + 11,000₩
- エアメール封筒 400₩
- リチウム電池 6,000₩
- お風呂用ビニール袋 690₩
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