VOL.4 帰りなさい
日本領事館
昨日の事件で、僕はかなりの精神的なダメージを受けたようだった。確かに怖い気持ちが先走るようになった。自分の思い通りにいかない、頼れるものがない、勝手が違うというのはこんなに怖いものなのだろうか。
朝、日本領事館に行き、昨夜派出所に来てくれたアカツさんに改めて昨日の経緯を説明した。
ひと通り聞いた後、アカツさんは説教を始めた。
僕からの視点だと、アカツさんは視野の狭いエリートタイプで、正論を言っているかもしれないが、それは典型的な官僚思想に思えた。無謀、無茶、無知、いろんなことを僕は言われた。韓国でこのありさまなら、中国なんかもっと危険だぞ、無理だ、無理だと、何度も言われた。そして頭の傷のこともあって、一旦日本に帰るように何度も促された。
僕は口応えせず、「はい」とだけ言って、すべてを聞き流した。
昨日日本を出たばかりだ。これからあちこちの国を旅するつもりの最初の国で、最初の日だった。帰れるはずがない。こんな傷くらいで帰れるはずがない。僕は心の中でそう叫んだ。
アカツさんの部下らしきキムさんは、まだ話が分かる人だった。帰れとは言わず、続けるなら、十分に注意しろよと、気遣ってくれた。
キムさんに南浦洞駅までついてきてもらい、コインロッカーからバックパックを取り出した。現金がなくなったので、T/C200USドル分を韓国ウォンに両替した。
僕はとても疲れて、歩くことも嫌になり、キムさんが探してくれた安宿に入って、すぐに寝ることにした。(クムカン旅人宿:1泊10,000ウォン)
釜山の街
だけど、やはりなかなか眠れない。無性に誰かと話したかった。
四畳半の狭い部屋に一人でいると、気分はどんどん滅入るので、僕は外に出ることにした。ひたすら街を歩いた。
釜山タワーでは、日本語の上手な韓国人がまた僕に話しかけてきたが、僕はそれすらも怖くなって、逃げるように彼から離れた。
釜山タワーには日本人の団体が観光バスに乗ってたくさんやって来た。それを見ると、味方のような気がして、少しホッとした気分になった。
街を歩いている間、僕は全神経をとがらせて、近寄ってくる韓国人に隙を見せないように必死で努力した。皆敵に見えた。日本がとても恋しくなった。どこにいても狙われているような気がした。
明日、ソウルに発とうと思った。事件のあった釜山を早く去りたい。もう何処へ行っても酒は飲まない。昔、友人に「酒で身を滅ぼすタイプやね」と言われたことを思い出した。僕は酒を飲むとブレーキが効かなる。気をつけないといけない。ここも、これからいくところも、日本ではないのだから。
日本人を探して
街を歩いても、気分がまったく晴れないので、やはり宿に戻って休むことにした。
宿のおばさんが、僕の隣の部屋に日本人が泊まっていることを教えてくれた。僕はうれしくなって、すぐに訪ねてみたが、昼間はずっといなかった。
夜になって隣の303号室の人が戻ってきたのがわかった。それくらい壁が薄い安宿なのだ。
僕はすぐに部屋をノックして、「日本の方ですか」と挨拶をした。でも相手はきょとんとしている。
「Where are you from?」
「Korea」
韓国人だった。
この宿は旅行者だけでなく、当然韓国人も泊まる。
その韓国人はニタニタと笑っていて、それが僕にはとても怖く、「Sorry」とだけ言って、すぐにドアを閉めた。
さらに時間が経つと、今度は左隣りの301号室の人が部屋に戻ってきた。
やっと見つけた日本人
今度は日本人だった。愛知から旅行で来ている、僕よりも5つほど年上のヨシダという人だった。
いきなりで申し訳なかったが、僕は話を聞いてもらいたく、ざっと昨日起こった事件のことを話して、頭の傷を見てもらった。自分では見えないので、どういう状態か知りたかった。
ガーゼは血が固まって、完全にくっついていたが、僕は強引に引き剥がした。傷は3〜4cmの長さで、きれいに切れているという。4針縫っているが、髪の毛を剃らずに縫い合わせていたので、髪の毛が糸に絡まっているという。
ヨシダさんは大げさに驚いた。帰るべきだと言った。
でも僕にしてみれば、この4針については、あまり大したことではなかった。僕は小学校のころ、太ももを12針縫っている。だから抜糸くらいは誰でも出来るものだと思っていた。
ヨシダさんはドアを開けっ放しでトイレに行ったり、寝転んで本を読んだり、無防備にも見えるくらいにリラックスして過ごしていた。僕とは対照的だった。
いろいろ話を聞くと、昔からちょこちょこと海外を旅していて、韓国も2回目だという。一緒にいて、ものすごく頼もしく見えた。ひょろっとしていて、特にケンカが強そうでもない。ただ、ここ韓国で普通にいるのが頼もしく見えた。
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