陸路で国境越え
香港との国境を有する中国の都市深圳は、経済特別地区であって、流浪の民が自由に出入り出来るところではないようだ。特別な許可証のようなものが必要となる。でも僕は、切符を買う時も、電車の中でもノーチェックだった。なぜだろう。パスポートチェックもないのなら、日本人のふりをしたら入れるということになる。どういうシステムになっているのか、結局よくわからなかった。
僕は歩いて国境を渡った。これまで海外旅行したときは、飛行機か船だったので、陸路で入国するのは初めての体験だ。ただ、建物の中に出国するところと、入国するところがあるので、柵をくぐり抜けたり、橋を渡ったりといったような、国境をまたぐ感覚はなかった。
香港側に入国し、その通路がそのまま列車の乗り場に続いていた。
香港には以前一度来たことがあった。会社員をしていたときで、入社1年目の目標を達成したため、ご褒美で連れてきてもらった。スケジュールがパンパンに詰まった完全なパックツアーだったので、記憶に残っている香港の地図は400万分の1のスケールでしかなかった。
そのため、どの駅までの切符を買えばいいのか、さっぱり分からなかった。僕は広州で手に入れた香港の地図を頼りに、近くにいたおじさんに英語で訊ねてみた。同じ宿にいたオーストラリア人が持っていたロンリープラネットに載っている地図のコピーだ。
香港では全員が英語を話せると思い込んでいたが、このおじさんは僕の英語が理解できないようで、鬱陶しそうにかぶりを振った。
仕方がないので、次のターゲットを探していると、さっきのおじさんの連れが、トイレでも行っていたのか、戻ってきた。かぶりを振ったおじさんよりも汚らしい服装なので、トライする気はなかったが、かぶりのおじさんが、「こっちに訊ねてみろ」と、ジェスチャーをしてくる。
言われるがままに、汚らしいおじさんに訊ねてみると、なんと英語はもちろん、日本語まで話せるではないか。聞くと、2人とも韓国人だった。汚らしいおじさんの方が仕事で香港に住んでいて、かぶりのおじさんが旅行で香港に遊びに来たのだという。よく見ると、汚らしいというのは思い込みで、ごく普通の普段着だった。
僕は釜山で強盗に遭って以来、韓国人をあまり信用できなくなっている。仕事は何かと訊ねてみると、「貿易だ」という。釜山の強盗と同じことを言っている。僕は増々注意を払った。
だが、よくよく考えると、話しかけたのは僕の方からであって、大きな荷物を持って、イミグレーションと駅の間で待つようなペテン師などいないだろう。
一緒に地下鉄に乗り、僕は教えられた佐敦駅で降り、彼らはそのまま地下鉄に乗ったまま別れた。
僕は日本人バックパッカーの溜まり場である、ラッキーゲストハウスを目指した。
道が分からなかったが、英語が通じるので、人に訊ねればすぐに分かった。ラッキーゲストハウスのドアを叩いて、「I want to stay here」とたどたどしい英語で僕が意思を伝えると、ホテルの人は流暢な日本語で、「今日はいっぱいなんですよねえ」と頭をポリポリかきながら言った。日本人が集まるゲストハウスなだけに、ホテルの人も日本語が話せるようだ。「話せるレベル」ではないほど、ネイティブだった。拙い英語で訊ねた僕は、ちょっと恥ずかしかった。
重慶マンションに行くことにした。こちらもバックパッカー御用達のホテルが多くある。
ラッキーゲストハウスは80香港ドルだが、重慶マンションは150香港ドルという前情報だったので、ある程度の出費は覚悟しないといけない。一旦落ち着いたら、また安い宿を探せばいいか、という気持ちで重慶マンションの入口でめぼしいゲストハウスを探した。
すると、インドかスリランカンか、その辺りの国の出身だと思われる怪しい男が声をかけてきた。名刺を取り出し、ホテルを紹介するという。
旅の初めのころだと絶対に無視していたようなパターンだったけど、旅に出てから1ヶ月ほどが経ち、僕も余裕が出てきた。
「ハウマッチ?」
「80〜150香港ドルだけど、ドミトリーなら60で紹介できる」
60香港ドルならありがたいので、僕は少し警戒したものの、すぐについていった。話してみると、その客引きはパキスタン出身だった。香港の街では白人も黒人もパキスタン人もまったく珍しくない。そういう面でも、中国と香港は明らかに違っている。
汚い雑居ビルの3階に連れて行かれて、そこの入口にはBlue Lagoon Guest Houseと書かれていた。薄汚れた部屋に案内され、8人用のドミトリーだったが、安いことが、ここ香港では優先したい。
以前訪れた香港では、昼間は団体であちこち連れて行かれて、夜は立派なホテルに泊まらせてもらったので、今回の香港の見え方とは全然違う。ネイザンロードを歩くと、ネオンがギラギラしている。中国ではまったく見当たらなかったHなお店もあった。服屋に入ると「Hello,you are welcome」と笑顔で迎えてくれる。タクシーはクラウンで、バスのほとんどが2階建てのバスである。
夜中0時を過ぎても街は眠らない。マクドナルドも電気屋も開いている。街を行く人々も酔っ払いだけでは決してない。時間の感覚が狂ってしまう。
中国語と英語が同じくらい飛び交い、電化製品や時計や服を売る店では、日本語も飛び交う。ちょっとしたラーメン屋でも、中国語と英語と日本語のメニューが出てくる。ただ中国から入った僕にとって、物価は恐ろしく高く感じる。
西安でギョウザのフルコースに50元出して、かなり思い切った記憶があるが、香港では蒸した鶏とサラミの丼が20香港ドルで、ビール(ハイネケン)でも25香港ドルもする。
僕はその丼とビールに、野菜炒めを注文したが、財布の中を確認すると、50香港ドルしかないのが分かり、慌てて取り消した。
香港は暖かくて、都会的で、言葉も通じる。痰を吐く人も、クラクションを鳴らしながら走るタクシーも、順番を平然と抜かしていくおじさん、おばさんもいない。快適だ。食事が高くなってしまうのが困りものだ。とは言っても、日本と比べると、全然安い。とにもかくにも、香港はワクワクするのだ。
居心地のよくないゲストハウス
何かと便利なラッキーゲストハウス
朝10時過ぎに起きた。決して居心地のいいホテルではない。ベッドは8つのうち、7つまで埋まっているが、バックパッカーは僕とドイツ人の二人だけだった。あとのメンバーは、浅黒いパキスタン人、腕に入れ墨のあるマフィアのような貫禄がある白人、荷物がやたら多くて、やたら陽気な台湾人、何時に帰って来ているのか全く分からないほど、夜型の白人のカップル。みんな昼間は働いているらしい。
ホテルを出てラッキーゲストハウスへ向かった。
急なことだが、一旦日本に帰らなければならなくなった。そのため、日本語で格安航空券を扱っている旅行代理店の情報を集めた。
1軒目に行った代理店は、ラッキーゲストハウスで正確な場所と店名を確認していなかったこともあり、少々不安を感じながら格安航空券について訊ねたが、扱ってない、と追い返された。
2軒目の代理店は重慶マンションのA-16にある代理店。年末年始はハイシーズンなので、格安のチケットはないと言われた。JALならあるが、往復で6000香港ドルだという。日本円だと9万円弱。この時期だと考えると、十分に安いのだろうけど、行ってすぐ戻って来るので、9万円の出費に対して、どうもふんぎりがつかなかった。
考え込む僕を見かねた受付の男は、「マニラ経由ならもっと安いのがある」と教えてくれた。
その代わりマニラで1泊しなければならない。それでよければ往復で3920香港ドルという。24日香港発で、関空には25日に着く便があるというので、飛びつくように予約した。
スターフェリーで香港島へ行く
スターフェリーに乗って、香港島へ渡った。物価の高い香港で、2香港ドルで船に乗れるというのは不思議な気分だ。
僕が2年前に泊まったホテルは、確か香港島だったと思う。だけどホテルの名前が思い出せない。高級な部類のホテルに泊まらせてもらったはずだが、いろいろ歩き回っても、結局分からなかった。
香港は奥が深く、少し路地を外れたら、全く違う風景が目に入る。サッカーグラウンドでスポーツを楽しむおじさんたちがいたり、かなり高いマンションが建ち並んでいたり、オフィス街であったり、中国のお寺があったり、ブランド物のショッピングセンターであったり、綺麗な港であったり、広州で見たような生きた動物のいる市場だったりする。これは何日歩いたとしても飽きないかもしれない。
九龍島も香港島も、高層ビルが建ち並び、「Season’s GREETINGS」というイルミネーションがすごい。クリスマスシーズンなので、サンタクロースやトナカイの絵がピカピカに光っている。高いところに行かなくても、迫力のある夜景を見ることができる。
夕食は吉野家で牛丼を食べた。吉野家は香港に3店舗、あとフィリピンにもタイにも韓国にもあるらしい。香港では大いに繁盛していた。メニューも日本よりもよっぽど豊富で、マクドナルドのようにレジのところでお金を先に払い、牛丼を受け取るスタイルだ。女性同士も、男女のカップルも多い。日本の吉野家とは全く違ったイメージを持っている。
僕は、Beef Bowl with Vegitableというのを頼んだ。牛丼の中に、カリフラワーやスイートコーンが入っている。Regularで22香港ドルである。
確かに牛丼ではあるが、カリフラワーやスイートコーンが入っているだけで、おしゃれな感じがしてしまって、吉野家を食べているという実感が沸かなかった。
予兆
ホテルに帰っても部屋には誰もいなかった。みんな何をしているのだろうか。
しばらくして、隣のベッドの陽気な台湾人が返ってきた。38歳だというこの台湾人は、日本にガールフレンドがいるという。26歳で、彼女が住んでいる住所を聞くと、なんと僕の家から30分ほどのところだった。アメージングだと、僕は驚いていたが、台湾人は近いということを知って、それ以上ガールフレンドのことについて詳しく話そうとしなかった。
もう一人のバックパッカーであるドイツ人は、この台湾人のことが嫌いなようで、台湾人がいないときに、
「あいつとはあまり話さないほうがいいぞ」と耳打ちし、「かなりの変わり者だ」と言って、頭を人差し指でコンコンと2回叩いた。
変わり者といえば、このホテルの連中は全員変わり者のようだ。入れ墨のマフィアのような男は、誰とも口をきかず、小さな窓を開けたがる。
バックパッカーのドイツ人が、窓の近くにいる僕に、「明日早く出発するので、窓を開けているとうるさくて眠れない。閉めてくれ」と頼んでくる。
確かに窓の外は車の通りが激しく、騒音といえる。
僕が窓を閉めると、しばらくして、マフィアが無言で窓を閉める。沈黙の戦いのようだ。
ドイツ人は神経質のようで、台湾人がゴソゴソと荷物の整理をしていると、静かにしてくれ、と文句を言う。部屋に誰かが入ってきて、しゃべっていると、起きて睨む。
確かに夜中の0時を過ぎると、普通のドミトリーなら電気を消して、誰もが静かにするものだ。このホテルそのものが変わっているのだ。
僕はその変わったホテルを楽しもうとして受け入れるが、欧米人はあくまでも一般的なルールで抗議する。よく言えば、自己主張、意思表示がはっきりしているのだが、悪く言えば、順応性がかける。
どうにも居心地の良くないホテルだ。この感覚は後日勃発する事件の予兆だったのだろう。
クリスチャンたちの舞台
ホテルのシャワーは、お湯を貯めるタンクが小さいのか、勢いよくお湯が出たと思ったら、すぐにぬるくなってしまう。ずっと出し続けて、気持ちのいいシャワーを浴びるのは不可能なようだ。
洗面所で選択しようと思ったら、洗濯機を使えと言われた。26香港ドルだという。洗面所は4つあるが、朝はみんなが使うので、長時間占有するのはいけないということだ。
それでも26香港ドルを払うのが惜しくて、どうしたものかと考えていたら、なぜか洗面所をを使っていいということになった。その代わり、床で洗って、最後に洗面所で流せ、ということだった。
言われるがままにしたが、実に気を使わせるホテルだ。
今日もスターフェリーで香港島へ渡った。香港島に着いたら、すぐその港でスピーカーから音楽が流れ、赤と青のシャツを着た男女が踊ろうとしていた。何が始まろうとしているのか見定めるため、僕はしばし立ち止まった。
スピーカーから流れる音楽は、キリストがどうだ、こうだ、と言っているようだ。クリスマスソングか讃美歌か、僕には分からなかった。
特におもしろいものではなかったが、他に目的や用事があるわけでもなかったので、ボーっと見ていた。ダンスはは激しくもなく、華麗というものでもない。全員の動きがそろっているという訳でもない。8人ほどいたが、皆少しずつずれている。
ダンスが終わり、白人の女性がマイクを持ってしゃべり出した。その横で香港人らしき男性が、ワンセンテンスずつ中国語に通訳している。中国語はさっぱり分からなかったが、女性の話す英語から察するところ、彼らはクリスチャンで、オーストラリアからこのパフォーマンスをするために来たらしい。
スピーチが終わると、マスクをつけた4人が出てきて、演劇のようなことを始めた。
1人目のマスクは、どこか憂鬱そうな表情をしている。
2人目のマスクはピエロのマスクで、無理やりはしゃぐような演技をしていた。
3人目は男で、怒っているマスクだった。
4人目はヒステリックなようで、しきりに指を指していた。
4人がそれぞれ約1分ほどの演技をすると、5人目が出てきた。
マスクをつけた4人は黒のTシャツに、胸にひびの入った大きなハートをつけて、5人目の男はマスクなしで、白のTシャツに胸には割れていないハートがついていた。
白Tシャツの男は、おそらくイエス・キリストの設定なのだろう。つまり神だ。
神は、まず怒っている男のマスクをやさしく取ってやる。怒りの男はマスクを取られ、眩しそうに顔をそらすが、髪がひび割れたハートを除き、きれいなハートがあることを教えてあげると、怒りの男は初めて晴れ晴れとした表情になる。
次は憂鬱そうなマスクの女である。同じようにして、彼女も明るい笑顔になる。
ピエロの女は、そんな2人を指差し、酒を飲むような仕草をするが、紙にマスクを取られ、きれいなハートが現れ、ハッピーになる。
最後のヒステリックな女は、3人を裏切り者のように、きつく、一人ひとりを指差す。それでも神にマスクを取られ、きれいなハートになり、笑顔になる。
そうしている間に、怒りの男が、弱々しくマスクをつけようとする。それを見た神は、ゆっくり彼に歩み寄り、もう一度ハートを見させて、思い直させる。
僕はこの演劇が妙に気に入った。人間は誰もがマスクをつけていて、社会の中で偽った姿を演じ、疲れている。それはとても苦しいことで、決して心からのハッピーではない。それが神によって、素直になり、素顔をさらけ出すことが出来れば、心からハッピーになれる、という意味だと思う。
後で聞いたところ、この演劇の名は「King of Hearts」というそうだ。
僕がこの劇の意味を考えて、手すりのところに腰をかけていると、クリスチャンの女性が3人話しかけてきた。日本人だというと、日本語のできるクリスチャンが通訳としてやってきた。名前はグレッチェン。グレッチェンは、福島の中学校で英語の教師をしているそうだ。でも日本語はあまりうまくなかった。
女性たちはしきりに神について話をしてきた。話の流れで、僕は仏教徒ということになってしまった。
「ブッダは何をしてくれますか?」
そう訊かれ、僕は慌てて、お葬式や年末年始の時だけ仏教徒だと言い直した。深入りするまえに、逃げたのだ。
グレッチェンたちは笑って、「じゃあ、今はどの宗教ですか?」と訊ねてくる。
クリスマスが近いので、「今はクリスチャンですよ」と答えると、彼女たちはとても喜んだ。
その後、彼女たちと一緒にお祈りをすることになり、さらには明日の18時に、シティプラザで、もっと大きな催しをするので、ぜひ見に来てほしいと言われた。
どうせ時間はあるので、行ってみようと思う。
事件勃発
エキサイティングなゲストハウス
朝からエキサイティングなホテルだ。事件が勃発したのは、入れ墨の男が帰ってきた、朝7時ごろだった。この入れ墨のマフィアのような男は夜中に働いているようだ。
マフィアは、以前から窓が空いていなければ眠れないらしく、今日も帰るやいなや窓を開けた。
その窓の一番近くで寝ていたドレッドヘアの白人女性が、騒音で眠れないので、窓を開けないで、と言って抗議した。だが、マフィアはフレッシュエアーじゃないと眠れないのだ、と言って、窓を閉めようとしない。
いくらか言い合いをし、ドレッドヘアは窓を閉めた。それを見たマフィアは、窓を叩くように乱暴に開け、ベッドに戻った。
ドレッドはまた窓を閉めた。今度のマフィアは反応が早く、小走りで窓のところにやって来て、押し開け、また口論が始まった。
「I want fresh air,Ineed fresh air」
排気ガスが蔓延した都会の空気がfresh airなのかは分からないが、とにかくマフィアは外の空気がどうしても必要なのだと叫ぶように繰り返した。
どちらも譲ろうとはしない。マフィアはアメリカ人なのか、ファッキンを頻繁に使う。英語の分からない僕でさえ、会話になっていなくて、いつまでも進歩らしきものはないことが分かる。
ドレッドがまた窓を閉めようとすると、今度はマフィアも黙って見ておらず、ドレッドの手をはたいて阻止をした。
ドレッドはいくらか冷静であったが、マフィアはかなり興奮していた。僕は見ていて怖かった。殺人が目の前で起こりそうな怖さがあった。
ドレッドはホテルの女主人に訴えに行った。だが女主人もどうすることも出来ないほど、マフィアは興奮していた。女主人の言う事など何も聞こうとしない。挙句の果てに、さらに怒ったマフィアは、ドレッドが寝ていた寝袋を窓から捨ててしまった。僕はただただ怖いだけだった。
しばらくして、二人がまた口論になりかけたとき、上段のベッドから様子を見ていた陽気な台湾人が、「Hey」とストップをかけた。
マフィアは台湾人にも食ってかかった。
「What? What?」
と詰め寄る。
台湾人が黙って睨んでいると、マフィアは日本語で、「日本人ですか?」と聞いた。
たどたどしい日本語だが、凶暴なのに敬語を使っているので、3流映画を見ているような違和感があった。
台湾人は「Shut up!」とだけ言って、それ以上は何も起こらなかった。別のベッドにいる昨夜から泊まるようになったアメリカ人の青年は、余裕の笑みを浮かべて様子を眺めていた。もしケンカになっても自信があるのだろうなと思った。
僕はやはり怖いだけで、早く終わってくれとだけ思い続けた。
ドレッドは寝袋を取りに行ったのか、しばらく部屋に帰って来なかった。その間にマフィアは眠ってしまった。
マフィアが眠ったころ、ドレッドが戻って来ると、躊躇することなく、窓を閉めた。マフィアが眠っていて気が付かなかったからよかったものの。
僕は唖然として、口が開いたままになった。そんな僕と目が合うと、ドレッドはいたずらっ子のようにウィンクをして、寝袋にくるまった。
かなわんな、と思った。そして僕はこのホテルに場違いな存在のように思えた。
クリスチャンたちの舞台再び
夕方から香港島の太古駅の前にあるCITY PLAZAに行った。昨日出会ったクリスチャンたちのダンスと演劇を見に行く約束をしていた。
彼女たちはBig Stageだと言っていたが、舞台が大きいだけで、演技はごくわずかだった。
内容は昨日とはまた違ったストーリーでタイトルは「The tree」という。イブがヘビに騙されて、邪悪の実を食べてしまうといった内容だ。
この演劇も4人の邪悪な登場人物が出てくる。MONEY(お金)、DRUG(薬)、BEAUTY(美)、LUST(欲望)。4つの誘惑と戦っているところへ、神が復活し、イブを助ける。
舞台が終わると、昨日のグレッチェンたちが僕のところに感想を聞きに来た。キリスト教の集まりなので、当然なのかもしれないが、彼女たちは神の話ばかりする。
「昨日あれから神を感じましたか?」
「神のことで何か質問することはないですか?」
僕は嫌われる覚悟で、彼女たちに質問をしてみた。
「科学的には、人間はアメーバーような生物から進化されたことになっているのに、聖書の中では神が創ったことになっているが、これはどう解釈すればいいのでしょうか」
意地悪な質問になるかもしれないが、僕の中で信じきれない内容の1つだ。
グレッチェンが代表して教えてくれる、「創ったとは書いてありますが、どのように創ったとは書いてないです」
なるほど、と思ったが、やはりこのような話は信じる・信じないに行き着くので、理詰めで話す内容ではないと思った。だから、7日間で創ったということに対する整合性については、訊くのをやめた。
今夜はもう一つステージがあるというので、一緒に行こう、と誘われた。場所を訊くと、なんと僕が泊まっている重慶マンションだというので、ついでに行くことになった。
インド人のクリスチャンが、彼ら一行を招待したようだ。僕は彼ら全員の好意で、スタッフ扱いにしてもらい、なぜか一緒におやつとジュースを頂き、お祈りをした。
すべて英語で話されたが、そのいちいちをグレッチェンが日本語に訳してくれた。
一人のインド人青年が発熱しているというので、全員でお祈りをすることになった。お祈りをしながら、10人のクリスチャンが感謝の言葉を神に捧げる。グレッチェンも捧げた。その捧げる言葉の中で、
「この中にいる一人の日本人があなたを信じようとしています。それを手伝ってあげてください」
という内容が聞き取れた。
信じることを拒否しようとは思わないが、積極的に信じようとはしていないため、なにか後ろめたく感じてしまった。
その後、全員で讃美歌の練習をした。
練習が終わり、重慶マンションの1階の小さな一角で、舞台が始まった。
初めは練習した讃美歌を歌う。なぜか僕もクリスチャンたちに混じって、観衆の前で歌うことになってしまった。クリスチャンでもないし、歌詞もよく分かってないし、自分がなぜこんな舞台に立つことになったのか不思議だが、とにかく恥ずかしかった。
讃美歌の後は演劇が始まった。僕は客席からそれを見た。
タイトルは、「King of Hearts」と「THE TREE」。グレッチェンに「King of Hearts」の内容について詳しく聞いてみた。
僕が憂鬱な女と思っていた一番目のマスクの女は、自分を美しいと思っている人のことだという。でも心の中は哀しいということを表現している。
二番目のピエロの男は、明るくふるまっているが、心の中では自殺願望がある。
三番目の怒りの男は、力のある者のことで、強く見せている人でも、心の中はいつもおびえている。
四番目のヒステリックな女は、ジャッジメントだという。自分は正しい、自分が一番と思ってなんでも決めつけてしまうけど、心の中では迷っていて、自信がない。
そして神が現れて、新しい心を吹き込んで、仮面を取らせるという物語になっている。
キリスト教の教えがどうなのかは分からないし、神を信じるかどうかも別として、内容は奥が深く、素晴らしいと思えた。
宗教のすごいところは、物理的な報酬がなくても、複数の人間が団結出来るということだ。これは正直なところ、怖いくらいにすごいと思った。ワンランク上の境地。信じることが出来れば素晴らしい。信じることが出来れば。
開放的な欧米人たち
朝9時ごろに起きてシャワーを浴びたが、それから何をするでもなく、ベッドに座り荷物の整理をした。日本を出発した時よりも、確実に荷物は増えている。どう押し込んでもバッグの中には全部入り切らない。
北京で買ったセーター以外に大きく場所を取るものはない。だけどバッグに入らないのはセーターの分だけではない。何度も詰め直しても入らない。
そんなことをしているうちに、同じドミトリーに寝ている白人の女性が目を覚ました。彼女は寝袋で寝ている。
上半身だけ起こし、荷物をごそごとして、青い布切れのようなものを取り出した。よく見るとパンティだった。彼女は寝袋の中でパンティを履いた。上はTシャツを着ているが、下はノーパンだったようだ。
欧米人は全裸で寝る人も多い。男も女も。そんな気持ちがいいものなのだろうか。僕も日本で試してみたことがあったが、パンツを履かないと落ち着かなかった。
僕は荷物の整理を続けていた。入らない荷物に悪戦苦闘を続けていた。白人女性はその間にシャワーを浴び、戻って来ると、ベッドの上で壁に向かって正座をし、着替え出した。
僕は目のやり場に困ったが、彼女は僕に背を向け、全く気にする素振りがない。
彼女はTシャツの下にブラジャーもつけていないのに、いきなりTシャツを脱いだ。当然、僕の場所からはおっぱいが見えることはなかったが、彼女より僕の方が恥ずかしかった。
欧米人は全般的にそうだ。昨夜ホテルにやってきた別の白人の女性も、おもいっきり尻にパンティを食い込ませて、部屋の中をウロウロしていた。
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