【中国・広州編】食在広州の食事情

目次

武漢から次の街広州へ

謎のパニック

昨夜僕は、ホームシックらしきものに襲われた。自分でもよく分からないが、パニックに近く、とても怖い体験だった。

僕の寝た硬臥(B寝台)の中段はえらく上下のスペースが狭く、座ることも出来ないくらいだった。はじめは狭いなぁ、とくらいにしか思わなかった。でも一度寝て、ふと夜中に目を覚ました時、まったくの孤独になったような、妙な不安感に襲われた。
閉所恐怖症にも関係があると思う。棺桶に入れられて、自由を奪われたような気になり、急に日本の何もかもが恋しくなった。そのまま仰向けに寝ていると、涙が出てきそうで、僕はうつ伏せで顔を上げ、通路側を眺めた。他の中国人たちは気持ちよさそうに寝ていた。
それでも僕の不安感は収まらなかった。何か気を紛らわすものがなければ、檻に入れられた状態を想像してしまう。
心臓がバクバク激しく動いて、どうしようもなくなった。僕は平和な時代に生まれて、このときほど感謝したことはない。今がもし戦争中で、捕虜という身になったとしたら、僕は肉体的にやつれてしまうより、まず気がおかしくなってしまうと思った。そんなことを考えていると、それをイメージしてしまい、さらに怖くなった。中国がとんでもなく遠いと思え、体が震えるような感じだった。暴れ出したい気分だった。何もしないで、じっとしていることがとても恐ろしく、僕はバッグの中からウォークマンとカセットテープを取り出し、通路の椅子に座り、カーテンを開け、真っ暗な外の景色を眺めながら、サザンオールスターズを聴いた。

少しずつ気が紛れ、落ち着いた。窓の隙間から少し風が入ってきて寒かったが、あの狭いベッドに戻る気になかなかなれなかった。
旅に慣れ、好奇心が薄れてきたのか。昼間切符を落として落ち込んでいたからなのか。6日間一緒に旅した陣内くんたちと別れて、一人になったからなのか。それらにベッドの狭さが重なった恐怖なのだろうなと思った。
1時間ほどサザンオールスターズを聴いて、ようやく他のことを考えられるようになり、僕がベッドに戻ることが出来た。ベッドに戻ってもサザンは聴き続けた。中には気が滅入りそうな暗い曲もあったが、何よりも気を紛らわすことが大事で、何も聴かないよりは何十倍もましだった。ウォークマンのボリュームをどんどん上げて、他のことを考えないようにしていると、いつの間にか眠っていた。

次に起きた時には朝だった。
車内は電気が点いていて、窓の外も明るかった。中国人たちも皆起きて、しゃべったり、本を読んだり、茶を飲んだり、何かを食べたりしていた。
僕は地獄の底から救われたような気がした。この世に朝があって良かったと、切に思った。あんな体験はもう嫌だ。あんな状態が毎晩続くようなら、僕は気が違ってしまうだろう。

広州の食事情は異次元だった

広州に着いた。食在広州。
自由市場は僕の泊まるユースホステルから近かった。広州は暖かい。Tシャツの上に長袖のポロシャツを着ていれば、十分だった。僕にはそれがとてもうれしかった。

ホテルのフロントで会った日本人と一緒に自由市場へ行った。
カゴの中に生き物がひしめきあっていた。ニワトリはカゴから出され、両足をしばられ、五羽ずつ束ねられていた。日本のような赤いトサカではなく、全身が真っ白なのと、全身茶色のニワトリだった。
その横には鴨がいて、ウサギがいて、猫がいた。猫はさすがに可哀想に思えた。日本にいれば高い料金設定されそうな、毛のふさふさしたヒマラヤンのような猫も、カゴの中に押し込められていた。その猫たちを見ていて、僕は昨夜を思い出した。高さ30cm・幅80cm・奥行40cmほどのカゴの中に猫が5匹も6匹も入っている。動きたくても動けない。市場を通る人がそれをじろじろを見て行く。中には暴れるようにヒステリックな声を出す猫もいるが、そのほとんどは力なくぐったりしている。時々店の若い女性が、鉄の棒で猫たちが生きているのかを確かめるために突いている。動物愛護の人が見れば、間違いなく悲鳴をあげるだろう。
子鹿もいた。ウサギや子鹿は脚の筋を切られ、逃げられないようにしている。僕の目の前にいたおじさんが、子鹿を買った。子鹿にもそれが分かるのか、動かない脚で必死に体を動かしているのが分かり、それが痛々しかった。
皮を剥がされたウサギも吊るされていた。中国人たちは包丁で肉をどんどんさばく。たくましい、としか言いようがない光景だった。日本人は魚に対してはあまり感情は持たない。鯉、雷魚、ブラックバス、なまず、ドジョウ、得体の知れないミミズのような、ヒルのような生き物もいる。カエルもうじゃうじゃいた。亀も腐るほどいて、手荒に扱われているようで、甲羅の割れている亀が多かった。サソリもいた。
でもそれらはあまりかわいそうという感情は出てこなかった。

夜、同じ部屋になった日本人と一緒に狗肉を食べに行った。狗肉というのは犬の肉のことだ。
しかしホテルの人に教えてもらった新南方というレストランの狗肉は1斤70元するという。「地球の歩き方」には2人で8元だったという投稿が載っていたので、それくらいの金額をイメージしていて、ちょっと面食らった。
せっかく広州に来たのだから、日本ではあまり食べられないものを食べたくて、ウサギを食べることにした。ウサギは店の外で、日本の生け簀感覚で飼われていた。他にはヘビと鴨とアヒルがいた。
ウサギは1斤23元だったが、半羽でしか頼めない。半羽で2斤、つまり46元だという。果たしてウサギは土鍋で味噌味で煮込まれて出てきた。薬味として、わさびと味噌とトマトソースの辛いのと、ごま油があった。
肉は鶏肉に似ていて、かたさは牛肉でいう上ミノのようだった。中国ではどんな肉も骨を除くという習慣がないようで、僕たちは肉だけを食べるという作業に疲れた。
鍋の中には生姜とにんにくが一緒に煮込まれていて、他の野菜は全くなかった。食べにくかったというのは別にすれば、ウサギは美味しかった。ただこんなことを気にするのは中国ではナンセンスかもしれないが、僕たちがウサギを注文したことによって、飼われていたウサギが殺されたのではないかと心配してしまう。

僕は広州に来て思った。生命あるものを食するのは仕方がないだろう。牛や豚を食べる人間が、猫は食べるな、犬は食べるなというのは間違っている。だけどそれを商売にして、無駄な生命をいくつも捨ててしまうことに人間の罪を感じる。小さなカゴに何匹も捕まえておくのはどうかと思う。人間は欲が出て、貯め込むのがよくない。腹に貯めるのはいいかもしれないが、銭に換えて貯めようとするのがよくない。世の中に貧富の差が出てしまうのも同じ理屈のような気がする。全ては人間の欲望からだ。欲望を捨てるのは難しいが、罪なことだと思う。

中国の最終日

朝、同じ部屋の日本人と3人で朝食を食べに行った。小汚い食堂で食事を済ませ、その後マクドナルドに移動し、銀行が開く13時30分までお茶を飲んで過ごした。

13時30分ぴったりに銀行に行ってみたが、まだ開いていない。訊くと14時からだと言われる。ここでも中国のよく分からないシステムに翻弄される。

そして14時に再び銀行に訪れ、T/Cの両替を試みたが、香港ドルへの両替は出来ないと言われる。香港の手前にある深圳だと出来るというので、明日深圳で両替することにした。

次に駅に行った。香港へ行くのに、船で行くか、陸路で行くか、さんざん悩んだが、一番安価な陸路で行くことにした。列車で深圳まで行き、そこから国境を歩いて越え、バスで香港の中心部へ行くルートが一番安い手段になることが分かった。

今日は昨日に続いて、市場をまわる予定だったが、香港に向けての準備が忙しく、結局行けなかった。情報の少なさが、時間を随分無駄にしている。

夕食には困った。せっかくだから、日本ではあまり食べられないものに挑戦したいと思ってはいたが、食べたいと思うものが思い浮かばなかった。肉は牛、豚、鶏で十分で、お腹が空いているときに、わざわざ他の肉を食べたいという欲求は湧いてこなかった。

悩んだ挙げ句、結局普通の中華料理にしようということになった。僕たちは広州の街をさまよい、普通の中華料理が食べられる店を探したが、高いレストランか、弁当屋ばかりが目についた。1時間半も歩いて、ようやく普通のレストランを見つけた。それでも少し高い。歩き疲れた後のビールがおいしかった。

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