桃源賓館のMR.Yang
やっとムラウチさんと離れることができた。
昨日までは、ムラウチさんも僕が行こうとしている楽山に来ると言っていたのだけど、今朝になって、突然「成都にもう一拍する」と言い出した。僕が少々鬱陶しいと思っているのを感じたのかもしれない。
確かに鬱陶しいと思っていたのだが、一人になると、ちょっと淋しいものだ。
4時間バスに揺られて、楽山に着いた。世界で2番目に高い、71メートルの大仏がある町だ。
なのに、地球の歩き方にはほんの少ししか紹介されていない。今まで、釜山、ソウル、北京、西安、成都、全て大きな町だったので、小さな町に泊まるのは初めてだ。少しずつたびに慣れて、自信が出てきた。
バスから降りると、いつものようにたくさんの客引きがまとわりついてきた。
「不要、不要」
と言いながら、自分の目的地である迎賓大酒店を目指した。
どんどん歩いて行っても、一人だけしつこく食い下がって、ずっとついてくるおばちゃんがいた。
楽山教育賓館というホテルの客引きだった。「不要」と50回は言ったと思うが、おばちゃんはヘタクソな英語で「フォローミー」と言ってくる。
あまりにしつこいので、「多少銭?」と訊いてみると、「30元」だと返ってきた。僕が地球の歩き方に載っている、18元のホテルに行く、と説明すると、「没有」(ないという意)と言いやがる。
「うそつけ」と僕は日本語で言ったが、おばちゃんはまた「フォローミー」と行って、僕の前をズンズンと歩いていく。
おばちゃんが連れて行こうとするホテルへ曲がる道で、僕が無視して真っ直ぐ行こうとすると、「こっちだ」というように、また何かしつこく何かを言ってくる。
18元のホテルに行くのだ、と再度説明すると、おばちゃんは「20元」と言ってきた。
それでも18元のホテルより高いじゃないか、というのを英語や日本語や筆談やらで伝えると、とうとう「18元」と言ってきた。18元にするから、とにかく見るだけでもいいから来てくれ、と。
18元という言葉を信じて行ってみると、ホテル側としては、やはり20元ということだった。僕は、話が違う、とホテルを出て、また歩き出した。
おばちゃんはすぐに追いかけてきて、このホテルが一番安いんだと説明し出した。僕が目指す迎賓大酒店は桃源賓館と名前を変えて、高くなったという。
なるほど、彼女の持っている資料の住所や料金表から、それは理解できた。だけど、その資料が本物かどうかは分からない。
おばちゃんは、もし18元だったとしても、たった2元の差ではないか、歩くことを考えれば、このホテルに泊まった方がいいではないか、と喚き散らす。
確かにたったの2元だ。そもそも僕の持っている「地球の歩き方」の情報は、そのほとんどのものが古く、行くホテルのほとんどが値上がりしていた。だから、僕が目指すホテルも18元から20元以上に値上がりしている可能性は大きかった。
迷ったが、少ない可能性を求めて、おばちゃんが勧めるホテルではない、僕が目指すホテルに向かった。
道々で訊ねて、辿り着いたホテルは、客引きのおばちゃんが言ったように、桃源賓館と名前を変え、そして高くなっていた。3人部屋が25元だった。
選択を誤った後悔もあったが、しつこく、言い換えれば、熱心に説明してくれたおばちゃんに悪い気がした。
このホテルには英語を話すMR.Yangというおじいちゃんがいる。
どうやらこのホテルのオーナーらしい。ロンリープラネットには堂々とMR.Yangの名前が載っている。彼の経営するレストランがあるので、後で食べに来い、という。
18時にMR.Yangの店に行った。
僕は寒かったので、砂鍋が食べたいと言うと、スープならあると言われた。トマトとポークと野菜のスープがいいと言うと、オーダー通りに作ってくれた。中華スープで作ってくれたようで、おいしかった。
MR.Yangは三峡下りのチケットを安く買ってやるぞ、と言い出した。僕は怪しいと思ったので、友人と待ち合わせをしているので予約できないとか、持ち合わせがないので無理だと言った。
MR.Yangはしつこくなく、淡々と説明だけしてくれた。
重慶で買うと、日本人だとすぐばれるので、外国人料金になり、ここでもし買うなら、MR.Yangが人民料金で買ってやるぞ、ということだった。
そして今まで、白人でさえ人民料金で買ったチケットで三峡下りの船に乗り、なんのトラブルもなかったという。外国人旅行者と一緒に撮った写真やメッセージノートや感謝の手紙などを見せられて、僕はすごく迷った。
というのは、成都の交通飯店の中にある代理店では、手数料込みで300元だったと聞いていたからだ。MR.Yangに頼むと、正規料金306元+重慶への手数料30元+楽山での手数料10元=346元かかるのだ。
MR.Yangに成都の話をすると、あそこの手数料は多いはずだ、3等が300元なんて聞いたことがないという。船のランクが違うのかも知れない。
迷いに迷ったが、MR.Yangに頼むことにした。明日は土曜日でT/Cを換金できないので、現金40USドルもMR.Yangに320元で両替してもらった。
僕は今日、その船の代金346元と次の町、游亭舗までのバス代39元をMR.Yangに払った。
明日、それらのチケットを受け取りに、再度レストランに行くことになった。
こそこそしたところがないし、レストランには外人2人がわざわざ訊ねて来てもいた。世界的なガイドブックにも載っている有名人だ。信じていいだろう。たぶん。
でも少し心配だ。彼は自分のチャージは取らないと言っている。なぜだろう。信じてみよう。大丈夫だろう。たぶん大丈夫だ。たぶん。
世界で2番目の大きな大仏に登ってみる
楽山の大仏に向かうが、中国のシステムが分からずトラブル発生、右往左往
昼ごろになって、ホテルを出て、大仏を見に行った。
全景は川岸から双眼鏡で、見て、後は歩いて大仏のとこまで行こうと思っていた。

ホテルの外にでると、いきなり遊覧船の客引きが寄ってきた。この客引きのおばちゃんは、昨日のホテルの客引きのおばちゃんに負けないくらいにしつこかった。
大仏が見えそうなところまで歩いたが、ほとんど霧のようなくもりで見えなかった。空は晴れていたのに。
そこでさっきの客引きおばちゃんがしつこく言ってきたのだが、値段を聞けば、昨日MR.Yangが言っていた10元と同じだったので、乗ってみることにした。
10元払って乗ったのはいいが、客が僕の他に誰もいなくて、30分経っても船は動き出さない。いつ出るのかとジェスチャーと筆談で訊ねたが、まったく相手にしてもらえない。挙句の果てに3人いた船員は全員昼食を食べにどこかへ行ってしまった。
僕は諦めて、気長に待つことにした。さらに10分ほど経過すると、若い中国人の男女が4人やって来た。
その中の一人が英語を少し話せるようなので、訊いてみると、彼らのいつ出発するのか分からないという。中国は本当にどういう仕組みで動いているのかよく分からないことが多い。
さらに10分ほど経つと、突然隣の船が動き出す気配を見せた。男女4人組があっちの船が出るみたいなので、お前も来い、という動作をしたので、僕は彼らと一緒に隣の船に乗った。
ようやく船は沖から離れて、向こう岸の大仏を目指した。
大仏の前でしばらくエンジンを止めてくれる。その間に客たちはカメラで写真を撮りまくる。撮った写真を郵送で送るのも立派な商売になっている。


船はエンジンを作動し、岸に着いた。男女4人組はうだうだしゃべっていて、他の3人の客は船から降りた。僕も降りようとすると、船員が僕に何かを言って、降りるのを制止した。
中国独特の途中下車かと思い、僕はまた別のところまで連れて行かれるのだと思った。岸から離れ、しばらくすると、女の船員が10元払えと言ってきた。
彼女の話によると、片道10元、往復で20元だそうだ。
男女4人組は行って帰るだけの往復チケットで、僕は片道チケットだった。船は別の場所へ行くのではなく、帰ろうとしている。
僕は怒った。僕が降りるのを止めた船員に、「お前が止めたから、俺は降りられなかった。元の場所に戻るのに、なんでまた余分な金を払わないとあかんのじゃ」と。
英語と日本語と中国語とジェスチェーで伝えた。
彼らは、もう船は動いてるし、しょうがないねんから、10元払ってくれ、というようなことを言った。10元、10元という。
僕を止めた船員は申し訳なさそうな顔をしたが、彼にはそれをどうにかする権限はなさそうだった。
さっきの英語が話せる客に、どうすればいいか助けを求めると、もう一度向こう岸まで行ってやるから、もう10元払え、本当ならもう20元払わなあかんけど、10元でいいぞ、ということだった。
僕はそんな妥協策で誤魔化されるもんかと思い、頑として金は一銭も払わないと言った。
僕は一人で、中国人はたくさんいた。ちょっとした人だかりができた。払う、払わんで話が行き詰まり、関係者はみんなどっかへ行ってしまった。
僕も船を降りようと思ったが、その時、こっちの船に乗れと、隣の船を指して、一人の中国人が言ってくれた。
僕は言われるがままに乗ったが、また別料金を請求されるのではないかと不安だった。誰も何の確認もしないまま、その船は動き出した。さっきと同じように、大仏の前でエンジンを止め、また動き出し、岸に着いた。僕はそこで降りた。
船員の一人が笑顔で、君はこっちに行きなさい、と大仏の道を指してくれた。どうやら事情を理解して、こちらまで運んでくれたようだ。僕は安心して、同時に彼らに感謝した。
ようやく辿り着いた大仏はあまりの大きさに足がすくむ
降りたところは大仏の前ではなく、大きな寺だった。大仏へ行くにはその中を通らなければいけなかった。いろんな種類の仏像があって、そういうのに興味のある人たちには面白そうな寺だった。
寺を抜け、山を降り、そこから先へ行くために関所の番人みたいな人がいて、20元支払わされた。そしてまた山を登り、また関所があって、さらに10元支払う必要があった。
だけど、僕は中国人10人くらいの団体の中に紛れていたからか、同じ団体の一員だと勘違いされ、素通りできてしまった。
食堂のような店が並び、その前には大きなたらいがあって、たらいの中には鯉とか鮒とかナマズとか雷魚がいた。日本では食べないような魚がおそらく料理のために泳がされている。
大仏は大きかった。
洞穴のような階段を降りて、眼の前に岩が見えた。実はそれが大仏の左足だったと気付いたのは少ししてから全体が見えるようになってからだ。
下から見上げたら、大きいのが分かるが、71メートルという感覚はなかった。
だけど、大仏の右側の階段を上っていくと、ものすごく高くて、大きいのが分かった。高所恐怖症の僕は、下を見ることができなかった。
しかも山を削った道であり、階段なので、崩れないかという恐怖もあり、足がすくむ。
上まで登り、見晴らしはよかったが、それ以上に高さが怖く、これを作った人たちの偉大さを感じた。

MR.Yangに手配してもらった三峽下りのチケット
18時前にホテルに帰り、MR.Yangのレストランへ行く準備をしていたら、MR.Yangが僕の部屋に来てくれた。チケットを持って。良かった。
しかもバス代が33元だったと言って、6元を払い戻してくれた。僕はサンキューを連発した。
MR.Yangはまだ仕事があるというので、僕だけ彼の妻のいるレストランへ行った。
青椒肉絲とご飯を頼んだ。出てきた料理は、やはり四川省だけあって、とても辛かった。口から火が出るかと思うくらいに。
レストランでMR.Yangからもらったチケットを見ていると、船のチケットが266元と書かれていた。昨日MR.Yangが見せてくれた料金表には306元と書かれていた。
代理店などに払うチャージは40元と聞いていたので、306元というのはチャージが含まれた代金なのだろうかと考えた。
成都で買った人も266元+手数料で300元だったと言っていたはず。
MR.Yangは自分はチャージと取らないと言っておきながら、40元のマージンを取っていたのではないかと、疑問がわいた。
その疑問がひっかかったので、僕はレストランでMR.Yangが帰ってくるのを待った。
1時間ほどして、MR.Yangは帰ってきた。MR.Yangは広げている僕のチケットを見て、「プロブレムはないか。大丈夫か」と訊いてきた。
その態度は堂々としていて、後ろめたいことなど全くなさそうだった。
僕は疑問をぶつけた。
すると266元というのは、今年の夏までの古い料金で、今は306元だ、その証拠に領収書には340元と書いてあるだろう、という。
僕は信じる以外に方法はなかった。それを確かめる術は僕にはない。重慶に行ってみなければ、本当かどうか分からない。
成都で300元だったというのがひっかかる。
そのうえ、日本人だとばれて、50%の上積みを請求されたら、僕は完全に損したことになる。なんかスッキリしない。
レストランに来る白人は多く、彼らそろってMR.Yangのことを「ナイスガイ」という。評判はいい。信じていいのだろうか。でも重慶に着くまではスッキリしない。
明日は朝6時前に起きなくてはいけない。7時発のバスに乗るのだ。起きれるだろうか。そんな早起きは万里の長城の時以来だ。
楽山は昼は暖かいが、朝晩は冷える。しかもこのホテルは寒い。ふとんも薄っぺらいのが1枚だけ。寝袋がなければ寒くて寝られないくだらい。
楽山から次の町へ⋯⋯でもどのバスに乗ればいいのか?
5時45分に起きた。そして6時15分にはチェックアウトをし、楽山の汽車中心駅まで歩いた。
空はまだ暗かった。それでも手袋をしなくても十分な暖かさだった。もう張り詰めた寒さに耐えなくても良さそうだ。
バスの駅には7時10分前に着いた。だけど、どのバスに乗っていいのかさっぱり分からなかった。
ある人は「あっち」だと言い、「あっち」に行けば「そっち」だと言い、「そっち」に行けば「こっち」だと言われた。誰が正しいのか分からないので、「あっち」「そっち」「こっち」と言う人たちを集めて、誰が正しいのか話し合ってくれとお願いした。
すると目の前のバスに乗ってもいいが、游亭舗というところまでは75元なので、残り42元払え、という。「なんで?」と訊ねると、料金表を見せて游亭舗まで75元というのを証明してくれた。
なるほど。だが、ものすごく高い。ものすごく高いが誰にも文句が言えず、中国の交通機関の仕組みが分からないのを確認したのだった。
僕は游亭舗という地図にも乗っていないようなところへ行って、そこから大足へ行こうと計画をしていた。大足には特別行きたいわけじゃなかった。石刻があるらしいが、有料で、しかも50元近くもかかる。
楽山の交通機関で訳が分からなければ、游亭舗や大足ではもっと困りそうで、不安になるばかりだった。
そのバスは重慶行きだった。重慶までは90元。距離を考えると、バカ高いという印象。
だけど僕は、この混乱する中国でさらなる混乱を求めて、さほど興味もない小さな町に寄るのをやめ、90元払って、重慶まで直接行くことにした。
バスの中は今までに見たことがないくらいきれいで、スピードも早く、エアコンもついていた。列車でいうところの「軟座」レベルだろうか。席も十分に余裕があり、ビデオも流れたり、快適だったのでしょうがないだろう。
ただし、ビデオはカラオケだったり、訳の分からん、映りの悪い香港映画だったりで、その点には満足出来なかった。
重慶に着いて、「地球の歩き方」の地図だけではさっぱり道が分からなかった。だからホテルまでの行き方も分からない。
人民に道を訊ねたが、どの人民も中国語でまくしたてるだけで、さっぱり会話にならない。
ここはどこだと、体全体と地図を使ったジェスチャーで訊ねても、彼らは中国語をしゃべるだけ。こちらが中国語を理解できないという想像ができていないようだ。
僕はそんな想像力のない人民だと分かると軽くいなしながら、次から次へと訊ねまくった。だが、どの人民も同じだった。
仕方がないので、紙に書いてバスに乗り、親切な女性の乗務員に見せると、指定したホテルまで連れて行ってくれた。
ホテルは70元と、中国で泊まったホテルの中では一番高かった。だがとても広く、エアコンもついていた。しかも6人部屋なのに、今日の客は僕一人。つまり6人部屋を独り占め。快適な眠りにありつけそうだ。
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