四川省成都へ
成都に着いた。
雨が少し降っている。僕が中国に入ってから、雨が降るのは初めてのことだ。
ほこりっぽくないので、喉が痛い今の僕には都合がいい。
どこにいったのか分からなくなっていたリップクリームも、カバンのポケットから見つかって、唇がすごく楽になった。
だけど、中国では雨がフルと、道路はさらに汚く、ドロドロになる。

成都の16路のバスの切符売りのおばさんは、とても不親切だった。降りる駅を伝えて、教えて欲しいとお願いして、わかった、わかったと首を縦に振っていたのに、何も教えてくれなかった。僕が、ここじゃないのか、と聞いても、早口の中国語で返すだけで、ジェスチャーさえもしてくれない。何を言っているのかも分からないし、YESなのかNOなのかも分からない。
結局、一か八かで降りてみたら、目当てのバス停だった。よかったのはよかったのだが、あのおばさんはなぜああいう態度を取ったのか、気持ち悪さだけが残った。人間不信になる。
成都の宿に選んだ交通飯店は、3人部屋で50元だった。地球の歩き方では40元となっていたが、値上がりしたようだ。
僕が案内された部屋には、先に泊まっていた日本人がいた。その人は西安の勝利飯店で1日だけ一緒に夕食を食べたムラウチさんだった。
再会を喜んだものの、こういったことは珍しくなくなってきていた。これからもたくさんあるだろう。偶然にも、日本人に会うのも、慣れてきた。そういった意味での感動はなくなったと言っていい。
あと3日もすれば、僕が日本を出てから1ヶ月になる。
いつまでもキョロキョロ、オドオドしているわけにはいかない。
四川の麻婆豆腐の辛さはレベルが違う
交通飯店は50元するだけあって、朝食もついているし、ベッドメイキングもしてくれる。朝食は小さなトーストが2枚、目玉焼き、ポテトフライ、そしてコーヒーがついている。洋式が2種類、中華が1種類、計3パターンが選べるシステムになっている。
ベッドメイクは特に必要ないので、断った。
そんなことより、なにより嬉しいのは、朝からシャワーが浴びられることだ。寒くても、温かいシャワーを浴びることができれば、気持ちいい朝を迎えることができる。
同室のムラウチさんは、なかなかに変わり者だ。悪い人ではないと思うのだが、やや教条的で、融通がきかない。なんでも、ウンウン、そうですね、と言っておけば、話はスムーズに進むのだけど、少しでも違う意見を言うと、どんどん突っ込んでくる。言ってしまえば、非常に面倒くさい。
僕とは少し考え方が違うので、意見がぶつかりあうこともあるが、着地点が気持ち悪い。
僕より年上ということもあり、一応気を使って、こちらで折れるようにしているが、強引な終わり方をすることが度々ある。こちらからすると、それなりにストレスだが、ムラウチさんはまったく気づかない。
ムラウチさんはなんと、結婚しているという。奥さんが日本で働いているらしいのに、本人は貧乏旅行を楽しんでいる。奥さんは怒らないのか。ある時訊いてみたことがあるが、返ってきたのは、
「俺、文句言わせないから」
というものだった。
金があるのか、単なる亭主関白なのか、どこからくる自信なのかは不明だが、別の人が言うと格好いいかもしれないが、ムラウチさんが言うと、イタイ人だと思ってしまう。
子供もいないというし、自由な旅を楽しんでるし、何のために結婚したのかなと思うが、そんな疑問を言おうもなら、延々と理屈をこねるので、飲み込んでしまうことにしている。
昼、ムラウチさんと一緒に麻婆豆腐の元祖といわれている店に行った。この店の陳お婆さんが作った豆腐の料理が、麻婆豆腐の始まりだそうだ。

結論としては、非常に、非常に辛かった。
四川料理は辛いものなので、覚悟はしていたが、辛いのを楽しめるレベルではなかった。成都の料理は全部が全部辛い。韓国なんかよりももっと辛い。人間の食べ物とは思えないほど辛い。
砂鍋も、刀削麺も、例外なく辛かったが、麻婆豆腐が一番辛かった。味など感じる余裕などなかった。
ただ、麻婆豆腐よりも麻辣豆腐という、もう一段辛いものが存在するらしいが、僕にはチャレンジする勇気はなかった。
成都の町は大きいのだが、珍しいものはない。だから面白いことはない。ホテル代も高いので、明日もう一泊だけして、楽山にでも行こうと思う。
気難しい同居人
せっかく50元の高級ホテルに泊まっているのだからと、今日は3度もシャワーを浴びた。
部屋に暖房設備はないが、むき出しのコンクリートではないので、西安で宿泊していた勝利飯店よりはずっと過ごしやすい。少々寒くても、温かいシャワーを浴びれば復活する。
昼にムラウチさんと包子の店に行った。ムラウチさんは観光地を巡る僕のことを大学生みたいだと言ったり、乞食について考える僕のことを日本人的考えと批判するが、自分はガイドブックを見て、そこに載っている店に行きたがる。
「旅は苦労しなければ面白くないよ」
と言いながら、英語のメニューを見ることに反対するくせに、自分はガイドブックの料理の写真を見せて、注文をする。
どうもポリシーがあるようには見えない。
同室にはもう一人、カナダ人がいる。ムラウチさんはヘタクソながらも、カナダ人とちゃんと英語で話す。だから英語を話せる環境にいたのかと思い、以前から訊きたかったことを思い出した。
旅をしていると、英語で話すことが少なからずあるのだが、いろんなシチュエーションで、英語ではなんていうのだろうかと、もどかしいことがある。
「こういう場合は、英語でどういうんですか」
という意味の質問を英語ではどういうのか、ムラウチさんに訊ねてみた。
すると、どうやら分からなかったらしく、返ってきたのは「そういうちゃんとした英語なんか使わないよ」だった。
せっかく外国人と話す機会が多くあるのだから、ちゃんとした英語を学びたいではないか、と僕が言うと、ムラウチさんはこう返す。
「なんでももったいないと思うのは、日本独特の合理主義だよ。米粒だって、日本人はきれいに食べてしまうけど、外国ではそれはいやしいことなんだよ」
ちょっとずれている。
話が長くなりそうだったけど、僕はさらに言った。
「もったいないと思う心は素晴らしいし、米粒を最後の一粒まで食べるっことがいやしいことだとは、絶対に思わん。日本にもいい文化と悪い文化があるのだろうけど、これはいい文化だと思う。ちゃんとした英語も学べる機会があるのに、わざわざブロークンだけ覚えてしまうことはないではないか。ちゃんとした英語が話せることは、ケンカが強いことと同じで、一生のうちで使う機会は1%にも満たないかもしれん。だけどその1%の、いざというときに、その力が発揮できてうれしいことだってあるではないか。それが何かのついでというなら、合理的な考え方は素晴らしいことではないか」
ムラウチさんは、「まだ日本の感覚だね」とあっさりと話を終わらせた。
それは、僕が海外を旅したいと言った時、そういうことをしたことのないおじさんが、その価値観を理解できずに、「青いなあ」と言って、鼻で笑っていたときによく似ていた。
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