【中国・西安編】シルクロードの東の起点 西安

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西安へ

北京から西安までの列車の旅

列車の狭い座席で17時間半揺られ、僕は西安に着いた。

列車の中には軍人がたくさんいた。軍人グループに席を代わってくれと頼まれて、別の軍人のグループの席へ移った。

近くには鉄道員もいて、僕が日本人だと分かると、珍しそうに皆、僕のまわりに集まってきた。口頭で質問されてもさっぱりわからないので、ノートを取り出して書かせてみた。

筆談で外国人と会話が出来るのが面白いらしく、どんどん書いて質問された。

中国人が必ずする質問がある。それは仕事ではなく、単なる観光で旅行していることを伝えたときに、

「じゃあお前は学生か?」

という質問。

「違う」

と答えると、彼らは曖昧にうなずき、理解していなような顔になる。

中国では意外にも貧富の差は激しく、街でボロボロの自転車の自転車の群れを大きなベンツが追い越していく場面は、普通の風景になっている。

中国人全員が貧しいわけではないが、その大部分が確実に貧しくて、彼らにしてみれば、学生でもない男がなぜ仕事もせずに遊んでいるのか、常識の中ではかんがえられないことなのだろう。

だから僕は世界中を旅したいなどとは言わず、中国を一ヶ月ほど旅行して、日本に帰って仕事をするのだ、と答えることにしている。

正直に全てを話すことが彼らに申し訳ないような気がしたのだ。

彼らはさらに質問を重ねる。

「給料はいくらくらいもらっているのか?」

僕が日本で仕事をしていたときは、営業の仕事をしていて、それなりに頑張っていたので、20代にしては日本でも多めにもらっていたと思う。なので、その半分くらいの金額を伝えてみた。

それでも彼らは、なんとも言えない顔で、ため息をついた。

逆に僕からも彼らの給料を訊ねてみた。30歳くらいの鉄道員は「500元だ」と答えた。日本円だと7千円程度になるだろう。21歳だという軍服を着た青年は50元しかもらってないという。

彼らには申し訳ないが、僕は日本に生まれてよかったと思った。

勝利飯店

西安に着いて、駅を出ると、ホテルの客引きが何人も声をかけてくる。しかもかなりしつこい。バックパックを背負っているのが他にいなかったからだろうか。

客引きのおばちゃんも、おっちゃんも、34元だと言っていた。だがこの客引きたちに連れて行ってもらうと、手数料を取られると思って、一人で今夜の宿である勝利飯店に向かったのだが、結局34元だった。

それなら、客引きに協力してあげればよかったと、少しだけ思った。

部屋は明るく、テレビもあるが、ヒーターが効いていないので、寒い。外の気温は北京に比べると暖かいくらいだが、ヒーターがないと、寒い。

勝利飯店には電話がなかった。

日本に電話するために郵便局に行ったが、コールする前に電話が切れた。故障したのかと思って受付のおばちゃんに言いに行くと、なにやら中国語でえらい怒鳴られた。

なぜそんなに怒鳴るのか、理由を知りたかったが、後から後からどんどん客が来て、それどころではなくなって、押し返されるように郵便局を追い出された。

中国のケンタッキー・フライド・チキンを食べる

朝、外へ出かける前に用意をしていると、僕が泊まっていた2人用の部屋に日本人がやって来た。

髪を腰まで伸ばし、ヒゲも伸ばしている若い男だった。

ウルムチから2泊3日の列車の旅を終え、西安に着いたという。

タイやカンボジア、パキスタンなどに行ったことのあるようで、いろんな情報を教えてもらった。ルート作りに大いに参考になった。

バンコクで格安チケットが手に入りやすいこととか、ベトナムのビザをもらう時に、陸路ならその国境の地名のスタンプを押してもらわなければならないとか。

彼が久しぶりにKFC(ケンタッキー・フライドチキン)に行きたいというので、昼食を一緒にKFCで食べた。

中国ではファーストフードは高い。たかが昼食で26.5元も使ってしまった。

チキンも日本のKFCと違って、手羽先で、しかも小さい。でも彼は満足していた。

その後列車の切符を予約しに行ったが、「メイヨー」と言われた。「ない」という意味で、中国では頻繁に返ってくる言葉だ。

地球の歩き方に載っている前日発売の場所へ買いに行ったのに、西安駅へ行けと言われた。駅まで行くのがしんどいので、明日出直すことにした。言葉が通じないこともあるが、中国ではよく分からずに断られることが少なくない。

テレコッタ・ウォーリアーズ〜兵馬俑坑〜を訪れる

兵馬俑坑で紀元前にタイムスリップ

西安駅へ切符を買いに行った。西安駅の2階には外国人専用窓口がある。

だけども、翌日からの切符しか売っていないようで、断られた。「メイヨー」(ないとうい意味)と。

昨日は切符発売所で、「ここじゃなくて駅に行け」と言われたが、実際駅に来ても、売ってないという。ますます中国は訳が分からない。

西安では楽しみにしていた兵馬俑坑に行ってみた。

切符は人民料金(中国人料金)で30元、外人料金(外国人料金)で90元だった。中国人のふりをして、30元だけ払って切符を買ってみたが、入口のところで止められた。

どうやら留学生の証明書である学生証か人民証のようなものが必要なようで、60元追加で払わされた。

兵馬俑坑のことを英語では「テレコッタ・ウォーリアーズ」という。ソウルで一緒だった、ベルギー人のルーが言っていた。

「テレコッタ」を辞書で調べると、「はにわ」と訳していた。だから僕は、小さなはにわの兵士がたくさんあるのだなと思っていたが、実物の「テレコッタ・ウォーリアーズ」は大きくて、馬は小さめに作られてあった。兵士は実物大のようだ。

秦の始皇帝はB.C.200年くらいの人物である。その始皇帝の墓のまわりから、2000年以上ものときを経て発見されたのだから、すごい話である。

兵馬俑は丸太で屋根を作り、その上にムシロを被せ、さらにその上10メートルもの高さに土をかけられていたが、2000年もの月日が経つ間にボロボロにくずれてしまっていた。

そのくずれた首や足や腕のかけらを土と分けながら、一つひとつパズルのようにして復元させる訳だから、気の遠くなる話だが。

兵馬俑の発見はものすごいことなのだが、当時の漢の人たちは、せっかく発見したにもかかわらず、大したものとは思わず、人形ごと穴を掘って、井戸にしてしまった。また最近でも兵馬俑が埋もれているとは知らずにお墓にしてしまったようなこともあったようだ。

土産物屋の商売根性

兵馬俑の門の外にある土産物屋たちの商売根性はすごいものがあった。

薄汚い毛皮を売っているおじさんもしつこかったし、絵はがき売りも感心するくらいにしつこかった。断れば断るほど、値段を下げてくる。

きつねの襟巻きは280元から50元まで値下がりしたし、絵はがきも10元から6元まで下がった。

僕はしつこさに根負けして、絵はがきを買った。だが、それを見て別の絵はがき売りが押し寄せてくる。買ったばかりなのでいらないと何度言っても引く様子がない。紙とペンまで用意して、いくらなら買うか書け、と言ってくる。

数字と「安い」という日本語だけは知っているようなので、どうやら日本人は一番のかもになっているのだろう。

兵馬俑坑で偶然知り合った日本人留学生の2人組は、僕と同じ勝利飯店に泊まっているという。そして驚いたことに、昨日から同じ部屋の同居人となった日本人のことを知っているという。タイで知り合ったのだそうだ。

夜はみんなで一緒に食事をしようということになった。

夕食は、日本人ばかり5人で食べることになった。僕の部屋の同居人と、兵馬俑坑で知り合った日本人2人組の同居人と、計5人。

砂鍋というものを食べた。いろんな野菜が入った鍋に、米飯をぶっ込み、雑炊のようにして食べる。野菜もたっぷり摂れて、栄養にもいいのではないだろうか。しかもうまかった。

中国のご飯は、安くても、基本はなんでもおいしかった。

僕以外の4人は、皆それぞれに旅の経験が豊富だった。中国だけでなく、他のアジアの国の知識にも富んでいて、僕はもっぱら質問する専門になった。

会話は盛り上がり、2次会にも行くことになった。

2次回では、屋台でシシカバブーをつまみにしてビールを飲んだ。シシカバブーは2角で、ビールは大ビンで3元。とにかく安い。

ホテルに帰ってテレビをつけると、ロバート・デ・ニーロの「ミッドナイト・ラン」をやっていた。中国はテレビだけを見ていると、社会主義という感じはしない。コマーシャルも日本のものとよく似ていた。

西安のシンボル大雁塔と西安の名物

大雁塔

西安のシンボル大雁塔へ行った。

チケットAとかBとあったので、入場料と塔に登る料金のことだと思っていたら、外国人料金と人民料金のことだった。

「イーガ(1枚)」となるべくばれないように、早口で言ってみたが、出したお金が多すぎたからだろう、あっさり外国人料金を取られた。

外国人料金だと、塔に登るのは25元かかるというので、残念ながら僕は登るのを諦めた。

レンガを積み上げられて出来たような大雁塔を僕は塀の外から眺めた。塀の周りを一周すると人民服色のマウンテンパーカーを着たひげ面の男が「こんにちは」と日本語で挨拶をしてきた。

日本人だった。

僕の着ていたNOMOのジャンパーで、僕が日本人だというのが分かったらしい。

彼は女性と2人でのカップル旅行で、あくまでも安さを追求しているらしく、すべて中国人料金で、宿も外国人は泊まれないはずの招待所に泊まっているという。

シルクロード方面から帰ってきたという。

僕の宿泊している勝利飯店の同部屋にいる日本人も、シルクロードを旅していたという話をしてみると、「もしかして」と彼の外見と合致する特徴をいくつか挙げだした。

「髪が長い」

「ヒゲを生やしている」

「大阪弁」

「細長い」

まさしく、同部屋の彼のことだった。シルクロードの宿で一緒だったらしい。。

昨日はタイで一緒だった人と、今日はシルクロードで一緒だった人と。日本人が旅するルートはこんなにも被るのかと、驚くしかなかった。

連夜の宴

勝利飯店に戻り、同部屋の彼と引き合わせると、3人はテンション高く、喜んだ。聞けば、たった10日ほど前に別れたばかりだというから、それほど久しぶりというわけではない。

日本人の旅するルートが似通っていても、この広い中国で再開するのは、やはりうれしいものらしい。

カップルの旅行者の2人は、今夜西安を発つ列車に乗るという。せっかくだから夕食を4人で一緒に食べようということになった。

昨日も同じパターンで飲みに行くことになったので、似たようなことは続くものだ。

カップル旅行者の提案で、西安名物のギョウザの宴をしようということになった。コースが50元からだというので、内心では出費が痛いと思った。しかしながら、西安の「名物」という言葉に逆らえず、今夜の食事は50元ではなく、日本円の650円だと考えるようにした。650円の夕食なら、まったく贅沢ではない。

前菜からギョウザが次々と出てきた。卵とか、エビとか、ツナとか、あんことか、小さなギョウザがたくさん出てきて、火鍋も出てきて、最後にはフルーツまで出てきた。最後の方は満腹すぎて、入らないくらいだった。

50元で考えると、このくらいは当然だという高さだが、650円で考えると、信じられない贅沢だった。

陝西省歴史博物館での攻防、そして次の町へ

陝西省歴史博物館

陝西省歴史博物館というところへ行った。内容が充実していて、いい博物館だと聞いていた。

確かに立派な建物で、内容も充実しているのだろうけど、僕の興味の対象ではなかった。

初めはしっかりと見ていたのだが、1展から6展のセクションがあるにもかかわらず、僕は2展目から集中力がなくなっていた。

7万年前の人間の作った土器や石器などを見ても、僕には興味が沸かなかった。一緒に行った勝利飯店の同居人は、熱心に中国語の解説を読みながら、ゆっくりと進んでいるのに、僕は時々立ち止まって変わったものを見つめる程度で、そのほとんどを飛ばすように進んだ。

一通り見て、ソファの置いてあるところで休憩していると、英語を話す怪しげな中国人が話しかけてきた。

面倒くさかったので、素っ気なく返事をしていたが、それでもしつこく質問をしてきた。

日本での給料はいくらだ、と聞いてくるので、適当に10万円だと答えると、「チープ」と半分笑われた。

どうやら拝金主義の中国人らしく、話は金のことばかりだった。

まだ26歳だというのに、給料が4,000元もあるという。日本円にすると5万円ちょっとなのだが、中国人にしてみれば、かなりの高給取りである。日本の感覚では100万円くらいの月収をもらっているようなものだ。

会話の中で、韓国ウォンを両替できるところは知らないかと訊ねた。韓国で使いきれなかったウォンが、まだ財布の中に残っている。

すると、26歳の拝金主義は、俺が両替してやる、という。

余っていた韓国ウォンは1万7,000ウォンあったので、今のレートだと176元くらいにはなるはずだ。なのに、拝金主義野郎は130元で替えてやるという。

話にならない。僕のことを何も知らないボンボン旅行者と思っているようだ。電卓を持ち出して、きっちり説明して、176元のところを170元まで下げてやるぞ、と伝えると、奴は150元だと粘る。

韓国のウォンは、昔の日本円と同じで、まだまだ国際的に弱く、中国では両替できる公の期間は存在しない。

僕はそういう弱みもあるので、160元まで下げることにした。これでさすがの拝金主義も納得するだろう。

しかし、奴は迷いながらも、なかなか首を縦に振らなかった。あくまでも150元でなんとか通そうと必死だった。

僕は僕で、使えない韓国ウォンを早く手放したかったが、それは顔には出さず、素っ気ない態度で対応した。拝金主義は、そこをなんとか、と言わんばかりに、あれこれ口数多く、150元で替えてやると言い続けていた。

「160元しかあかん」

日本語が通じるわけもないだろうが、日本語でそう言って、立ち上がって、その場を去ろうとした。どうせすぐに止めてくるだろう、そして悪かった、160元で替えさせてくれ、とお願いしてくるだろうと思っていたが、奴はポカンとしたまま動かない。

僕が立ち止まらずに出口に向かうと、結局拝金主義は黙ったまま、僕を見送った。物欲しそうな目をしたまま。

韓国に行く予定はこの先もない。もったいないけど、韓国の札を記念にとっておくことに決めた。

中国のタクシー

夕方、勝利飯店に宿泊している日本人6人で、焼肉の食べ放題に行こうということになった。38元だという。

一昨日も昨日も宴だったので、さすがに3日連続は贅沢し過ぎな感じはしたが、ここはまた得意の「日本円ならいくら」という考えを持ち出すことにした。

6人のうち、3人が外出する予定があったので、18時に焼肉屋の前で待ち合わせすることになった。

僕たち3人は一緒に宿を出たが、少し遅れそうだったので、タクシーを使うことにした。

3人とも、中国でのタクシーは初めてだった。

普段何気なく歩いたり、バスに乗ったりしていた道は、実は一方通行が多く、タクシーは大きく回り道をしなければならなかった。

すでに約束の時間を20分経過していたので、運転手に、とにかく急いでくれ、とお願いすると、運転手はどんどんスピードを上げてくれた。

渋滞している車と車の間を縫うように、他の車を追い越して行った。交通ルールやマナーが恐ろしく欠如した運転に、僕たちはジェットコースターを思った。

僕たち3人の中に、中国語を話せる留学生がいたのだが、「運転がうまいですね」と褒めてみると、運転手は実にうれしそうな顔で、得意げになり、さらにスピードを上げた。

右折するときに歩行者や自転車がいるのに、突っ込んで行く。何度も当たりそうになり、僕たちはやがて悲鳴をあげていた。

運転手は僕たちの悲鳴が歓声だと勘違いしたのか、またうれしそうにスピードを上げた。

焼肉食べ放題

焼肉は、牛、羊、豚、鳥はもちろん、蛙まであった。白飯やピラフ、さらにフルーツやアイスクリームまでが食べ放題だった。ジュースも飲み放題。

昨日のギョウザも満足だったが、それ以上だった。

西安最後の食事は、大満足だった。

焼肉屋を出ると、僕はみんなに別れを告げて、そのまま西安駅に向かい、昆明行きの列車に乗った。

切符は硬座だと思って買ったはずだったが、「硬臥」だった。つまり寝台車両で寝られるということだ。

寝台車は自分のスペースがきっちり守られていて、安心感がある。6つのベッドが一角のスペースとなっている。

硬臥は一つだけ難点がある。

湯が飲み放題というわけではないのだ。硬座のときは、勝手に汲みに行けば、お湯は飲み放題だったが、硬臥のスペースでは一角のポットが1つしかない。つまり6人で1つのポットを分けて使うことになる。

一人がカップラーメンを食べだした。ポットのお湯は一気に半分くらいなくなった。そして3人がお茶を飲むためお湯を自分のコップに注ぐと、もうなくなった。

僕はお茶がない旅を強いられることになった。

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