【韓国・釜山編】到着後、いきなり事件発生。絶体絶命のピンチ

目次

いきなり事件発生。絶体絶命のピンチ

事件の前の出来事

頭をがつんとやられた。かち割られた。

朝、僕は釜山のフェリー発着場から歩いて市街地に向かっていたところ、メガネのスタジャンを着た男に韓国語で話しかけられた。日本人だということを拙い英語で伝えると、後ろにいた2人組に声をかけた。2人組はどちらもスーツ姿で、少しエリートのビジネスマンのように見えた。そして少し日本語が話せた。

どこから来た? どこに行く? 何をしたい? のような簡単なやりとりをした後、スーツ姿の2人は日本語の勉強中だから、もう少し会話をさせてくれないかと頼んできた。

そこまで急いでいるわけではなく、また旅の醍醐味は地元の人との交流。いい土産話になればと、スタジャン男とスーツ2人組、そして僕の4人は近くの喫茶店に入った。

人参茶なるものを頼んだが、味は決してうまいと思えるものではなかった。人参茶をちびちびと飲みながら、世間話に興じた。僕は僕で日本語を教えてあげているつもりで、いろいろ日本のことを話して、彼らは彼らで釜山のことを教えてくれた。話の流れで、彼らに釜山を案内してもらうことになった。

人参茶は3,300ウォンだったが、それは彼らがおごってくれた。

大きなバックパックは南浦洞駅のコインロッカーに入れると、4人でタクシーに乗り込んだ。

連れて行かれたのは、海の見える眺望のいい公園だった。名前は覚えていない。

景色の写真を数枚撮っていると、僕の写真も撮ってくれた。一緒に撮ろうと言ったが、恥ずかしそうに、手を横に振る。いいから、いいから、と何度も促したが、3人とも手を横に振るばかりだった。

そこから海水浴場にも行ったが、別に観光地と言えるほどのものではなく、好奇心は起こらなかった。

そんなことをしているうちに昼くらいになっていて、そろそろ今夜泊まる宿を見つけて、旅のプランを立てたい。彼らにそう伝えると、じゃあ昼ご飯を食べて解散しようということになった。昼ご飯はごちそうしてくれるという。

連れて行かれたのは、海水浴場のすぐ近くにある小ぎれいな店で、ちょっとした料亭のような店構えだった。
大皿に盛られた刺身が運ばれ、海鮮料理が何品か並べられた。酒も出された。HITTEビールに焼酎。昼ご飯にしてみたら、贅沢過ぎる感じもしたが、それは彼らが僕を歓迎してくれている気持ちだと思い、その思いに応えるためにも、僕は勧められるままにHITTEビールと焼酎を煽った。

しかし、その店での記憶は途中で消失してしまっている。

途絶えた記憶

意識を取り戻したのは、バーのような暗い店の中だった。店員らしき若い男に体を揺らされ、韓国語で声をかけられていた。僕はひどく酔っていたのか、意識朦朧としていて、申し訳ないが、まったく会話にならなかった。

しばらくすると、警官2人やってきて、僕はパトカーに乗せられ、近くの派出所に連れて行かれた。パトカーの中で頭が痛いことに気づき、手をやるとべっとりと血が付いた。よく見ると服も血だらけになっていた。かばんの中を確認すると、パスポートもトラベラーズチェックもカメラも無事だったが、両替をするタイミングがなかった日本円4万円がなくなっていた。

派出所につき、ようやく意識がしっかりとしてきて、悪い奴らにしてやられたのだと理解した。これほど完全に意識をなくしたことは経験したことがなかった。べろんべろんに酔っ払ったことは何度もあるが、完全に意識がなくなったり、意識を取り戻しても朦朧とする時間が続くようなこともなかった。おそらく睡眠薬だろう。焼酎にでも睡眠薬を入れられ、バカな僕はそれを自ら一気飲みしてしまったのだ。免疫のない体に睡眠薬は即効性の効果をもたらし、一瞬で意識を奪ったのだろう。頭の傷は意識を失った際に、倒れて何かにぶつけてしまったのかもしれない。

考えれば考えるほど、うかつだった。

そもそも釜山の港で話しかけられることに怪しいと気づくべきだった。スーツの男は会社が休みだと言っていたが、休日になぜスーツを着ているのかもスルーしてしまった。後で分かったことだが、地球の歩き方などのガイドブックには、釜山の港で日本語を勉強をしているなどと話しかけられて、詐欺や強盗にあう被害に気をつけるような記事が載っていた。典型的な手法にひっかかった。

次に観光地で一緒に写真を撮ろうとしなかったこともシグナルだった。犯人が自分の顔写真を残すはずがない。これは今後の旅にも役に立つのだが、疑わしい人物が近寄ってきたら、一緒に写真を撮ろうと申し出ればいい。怪しい奴は大抵は一緒に写ろうとはしない。

そして知らない土地で、初めて会った連中と、ガバガバと酒を飲んでしまったことは犯罪を手助けしたようなものだ。調子に乗って、こちらから一気飲みの勝負を挑んだり、腕相撲をしたり、さんざんはしゃいだ挙げ句に、頭から血を流し、お金を失ってしまった。

頭からの血は止まらなかったので、病院に連れて行かれた。病院では麻酔もせず、頭を押さえつけられると、いきなり縫われた。医者は「オッケー、4ポイント」と言った。

病院に着いてから4針縫われるまで10分ほどの出来事だった。

派出所に戻ると、日本領事館の人と、ボランティアで通訳をしている韓国人が待っていた。

僕の気の緩みによって、いろんな人に迷惑をかけてしまった。日本でたくさんの旅の本を読み、いろんな手口が頭に入っていたはずなのに、結局平和ボケが抜けていなかった。

夜も遅くなってきたので、詳しい話は翌朝にすることとして、派出所から近くのホテルに泊まることとなった。部屋で一人になると、恐ろしさがこみあげてきて、なかなか眠れなかった。

帰りなさい

日本領事館

昨日の事件で、僕はかなりの精神的なダメージを受けたようだった。確かに怖い気持ちが先走るようになった。自分の思い通りにいかない、頼れるものがない、勝手が違うというのはこんなに怖いものなのだろうか。

朝、日本領事館に行き、昨夜派出所に来てくれたアカツさんに改めて昨日の経緯を説明した。

ひと通り聞いた後、アカツさんは説教を始めた。

僕からの視点だと、アカツさんは視野の狭いエリートタイプで、正論を言っているかもしれないが、それは典型的な官僚思想に思えた。無謀、無茶、無知、いろんなことを僕は言われた。韓国でこのありさまなら、中国なんかもっと危険だぞ、無理だ、無理だと、何度も言われた。そして頭の傷のこともあって、一旦日本に帰るように何度も促された。

僕は口応えせず、「はい」とだけ言って、すべてを聞き流した。

昨日日本を出たばかりだ。これからあちこちの国を旅するつもりの最初の国で、最初の日だった。帰れるはずがない。こんな傷くらいで帰れるはずがない。僕は心の中でそう叫んだ。

アカツさんの部下らしきキムさんは、まだ話が分かる人だった。帰れとは言わず、続けるなら、十分に注意しろよと、気遣ってくれた。

キムさんに南浦洞駅までついてきてもらい、コインロッカーからバックパックを取り出した。現金がなくなったので、T/C200USドル分を韓国ウォンに両替した。

僕はとても疲れて、歩くことも嫌になり、キムさんが探してくれた安宿に入って、すぐに寝ることにした。

釜山の街

だけど、やはりなかなか眠れない。無性に誰かと話したかった。

四畳半の狭い部屋に一人でいると、気分はどんどん滅入るので、僕は外に出ることにした。ひたすら街を歩いた。

釜山タワーでは、日本語の上手な韓国人がまた僕に話しかけてきたが、僕はそれすらも怖くなって、逃げるように彼から離れた。

釜山タワーには日本人の団体が観光バスに乗ってたくさんやって来た。それを見ると、味方のような気がして、少しホッとした気分になった。

街を歩いている間、僕は全神経をとがらせて、近寄ってくる韓国人に隙を見せないように必死で努力した。皆敵に見えた。日本がとても恋しくなった。どこにいても狙われているような気がした。

明日、ソウルに発とうと思った。事件のあった釜山を早く去りたい。もう何処へ行っても酒は飲まない。昔、友人に「酒で身を滅ぼすタイプやね」と言われたことを思い出した。僕は酒を飲むとブレーキが効かなる。気をつけないといけない。ここも、これからいくところも、日本ではないのだから。

日本人を探して

街を歩いても、気分がまったく晴れないので、やはり宿に戻って休むことにした。

宿のおばさんが、僕の隣の部屋に日本人が泊まっていることを教えてくれた。僕はうれしくなって、すぐに訪ねてみたが、昼間はずっといなかった。

夜になって隣の303号室の人が戻ってきたのがわかった。それくらい壁が薄い安宿なのだ。

僕はすぐに部屋をノックして、「日本の方ですか」と挨拶をした。でも相手はきょとんとしている。

「Where are you  from?」

「Korea」

韓国人だった。

この宿は旅行者だけでなく、当然韓国人も泊まる。

その韓国人はニタニタと笑っていて、それが僕にはとても怖く、「Sorry」とだけ言って、すぐにドアを閉めた。

さらに時間が経つと、今度は左隣りの301号室の人が部屋に戻ってきた。

今度は日本人だった。愛知から旅行で来ている、僕よりも5つほど年上のヨシダという人だった。

いきなりで申し訳なかったが、僕は話を聞いてもらいたく、ざっと昨日起こった事件のことを話して、頭の傷を見てもらった。自分では見えないので、どういう状態か知りたかった。

ガーゼは血が固まって、完全にくっついていたが、僕は強引に引き剥がした。傷は3〜4cmの長さで、きれいに切れているという。4針縫っているが、髪の毛を剃らずに縫い合わせていたので、髪の毛が糸に絡まっているという。

ヨシダさんは大げさに驚いた。帰るべきだと言った。

でも僕にしてみれば、この4針については、あまり大したことではなかった。僕は小学校のころ、太ももを12針縫っている。だから抜糸くらいは誰でも出来るものだと思っていた。

ヨシダさんはドアを開けっ放しでトイレに行ったり、寝転んで本を読んだり、無防備にも見えるくらいにリラックスして過ごしていた。僕とは対照的だった。

いろいろ話を聞くと、昔からちょこちょこと海外を旅していて、韓国も2回目だという。一緒にいて、ものすごく頼もしく見えた。ひょろっとしていて、特にケンカが強そうでもない。ただ、ここ韓国で普通にいるのが頼もしく見えた

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