【日本編】出発!バックパッカーとしての第一歩を踏み出す

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旅のはじまり 

とうとう僕は船に乗り込み、神戸を離れた。

大学時代から思い続けていた、僕にとって人生最大の旅の第一歩を踏み出した。

六甲アイランドの阪九フェリーの乗船場に着くと、アルバイト時代の仲間が見送りに来てくれた。しばし別れを惜しみながら、船に乗り込んだのは出港の10分前だった。あたりはもうすっかり暗くなっている。

フェリーの売店で紙テープを買って、港に向かって投げたが、あいにくの雨で、紙のテープはすぐに切れた。見送りは多くはなかったが、見送ってくれる人がいて、僕はとてもありがたかった。みんなが手を降る姿を目に焼き付けて、これからの旅の糧にしようと思った。

神戸を出た船は夜通し走り続け、ようやく四国を過ぎようとしている。船内は団体旅行のおじちゃん、おばちゃんが多く、ピーチク、パーチクとしゃべり続け、笑い続けている。当然のことだが、誰も僕のことなど知りはしない。これから海外の多くの国をあちこち放浪しようとしていることなど、誰も知りはしない。ワクワクする期待が胸を打っていることも、不安や淋しい気持ちが体の奥から染みてくることも、誰も知りはしない。僕はこれから一人なのだ。

いざ、出国

門司港に着き、そのまま下関へ。

関釜フェリーの乗船場には旅行者というより、行商しているようなおばちゃんが多い。僕の前に座っているおばちゃんは韓国人のようだが、会話の中に日本語も混じっている。

そのおばちゃんだけでなく、ほかのおばちゃんの言葉にも韓国語の中に日本語が混じっていて、それが自然のようだった。下関と釜山を結ぶ船には両方の国で使われている言葉を操ることができる人が集まるのだろう。

船に乗り込み、しばらくして船は日本を離れた。いよいよだ。

2等の大部屋には、韓国人ばかりだった。隣の場所をキープしているソンくんという25歳の青年が、いきなり韓国語で話しかけてきた。僕は少しうろたえ、「JAPAN」と言った。

意味が通じたのか、よく分かっていないのか、判別に困る反応ではあったが、とにかく彼は話しかけるのをやめて、ゲームに熱中しだした。

風呂場で湯に浸かっていると、ソンくんがやってきて、また話しかけてきた。今度は少しの日本語も駆使してくれたので、ようやく会話になった。彼は日本のアニメが好きらしく、僕の知らないアニメの話を熱心にしてくれた。お互いの言葉もままならず、話題にしてくれたアニメのこともよく知らない。会話は盛り上がるはずもなく、申し訳なく、ただ聞くだけしかできなかった。

船はよく揺れた。

風呂から上がり、本を読んでいると酔いそうだった。船員の話によると、対馬と韓国の間は、波と風の向きが逆になっているらしく、もっともっと揺れるとのことだった。

窓から外を見ると、暗闇の中、波しぶきを上げながら船が進んでいるのが分かる。水の上を進んでいることを認識すると、不思議な気持ちになる。

海を行き止まりととらえるか、大きな道だととらえるかで、見える世界は大きく変わる。今まさに、大きな道を進んで、島国の日本から出ようとしている。わくわくは止まらない。

早いところ、寝たほうがよさそうだ。ただ、船を待つ間、ビールを飲んで、昼寝をしてしまったので、果たして寝られるだろうか。まだ、20時前だ。

揺れる船

船は本当によく揺れた。

僕は今まで舞鶴ー小樽、晴海埠頭ー苫小牧、神戸ー那覇、愛媛ー神戸、宮崎ー神戸と何度も船で旅したことがあったが、今回の船ほど揺れたことはなかった。

波が船の下から突き上げるようにぶつかってくる。ドーンというごつい音とともに船が傾く。

阪神大震災を思い出させるような突き上げだった。まるで遊園地の乗り物に乗っているかのようだった。

次第に気分が悪くなってきて、懸命に目をつむって、寝る真似でもしていなければ、寝返りしただけでも酔いそうだった。

それは他の乗客も同じらしく、20時半にもなると、2等の大部屋はすべて静まり返った。

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